飯島暉子『スローダウン』@CAI03

最終日に訪問したこちらの展示。生きていることそのもののを、自ら影踏みしようとしているような感覚の作品で、とても印象に残りました。
また、展示室でピンとこなくても、家で写真を見返し解釈できた作品もちらほら。写真を残すのは大切ですね。何度も作品に出合い直すことができます。

さて、同展は現代美術ギャラリーCAI03(市営地下鉄南北線幌平橋駅徒歩5分、札幌護國神社の裏手)で2024年8月31日(土)〜9月14日(土)に開かれ、観覧無料でした。
会場はマンションの地下。ボイラー施設や配管もむき出しの空間の中に、作家がテーマとしている「仮置き」のものたちが広げられていました。

“仮置き”の配置に関心を持つ自分にとって
自分自身も絶えず移動し続ける対象に含まれている
繰り返す仕草は習慣として視覚的にたちあがり
場所にのこる痕跡からは過去の使用者の習慣を読み解くことができる

会場設置のキャプションペーパー(2024年8月16日作者自著)から引用


もっともはっきり解釈しやすい作品『Mark』は、ほぼ同じ素材のペーパーナプキンを全数十枚、複数の部屋で鑑賞します。
残された染みがひとつひとつ違うことがはっきり見えますが、本当はすべてが違っています。人は同じ種類の表象で理解しようとするけれど、物として同じものはひとつもない。どこでどのような状況で作ったものかは書かれていないので、想像するしかありません。作品のために状況を設定したのか、日々の生活で集めてきたのか。ほとんど同じ素材のものなので、いきつけのお店か、お気に入りのチェーン店か、はたまた自宅でのルーティーンの一部なのか。
注意深く見ることで、つねに崩れて再構成されているなにかを見落とさないようにするという作家の動きを追体験した気がします。

『Mark』(ペーパーナプキン)
『Mark』(ペーパーナプキン)

『毛並み』は、壁面に小さな木の棒が立っている姿の作品。鉛というのは、鉛筆を使ったということなのか、中に芯材が入っているのか。コンクリート壁面の筋と平行に、なんらかの意図を持って削られた形のゆらぎを持っています。この意図というのも、合理性には回収されない自由さがあります。

『毛並み』(木材・鉛)

大きなパネルに貼り付けられた『Chair 1-70/100』は、同じ椅子の写真の複製と思われる作品ですが、ひとつの場面で連写したうちの何枚かを使用しているのかもしれません。また、色褪せふうに見える加工は、偶発性が必要だろうけどどのように処理したのでしょうか。目の前にあるものが結果である表象芸術から、過程を突き止めるのは難しいです。
こうした作品は、種明かしを聞くのもいいですが、なにも知らないで想像したままでもいいのかもしれません。キャプションなどに残された言葉を手がかりに想像を広げます。そもそもどこでなぜこの椅子なのか。ただ一人の作者本人のひらめきは、解剖にかけられてもそうでなくてもいい。

『Chair 1-70/100』(紙、インク)

『枠』と『Bride 13/15』はタブロー的な作品。却って概念を読み取るのが難しいです。手を動かした記憶と、おそらく画面を見てなにかをしたのだろうと、おぼろげな影が見える気がします。

左『枠』(菓子箱の蓋、アクリル絵具) 中央『Bride 13/15』(紙、インク)

視界と言葉の同語反復『円が15個』。木の棒の断面と合わせて、この設置方法で表面に見えるのは15個の円。横置きしたら1つ円が増えるので、描き入れるものもまた変わるのでしょう。見た目はレンコンみたいでかわいい作品。単純に概念を表そうとしたら、レンコンのような食品や既製品を使ったレディ・メイドで展示するのかもしれないですね。この棒に円を描くというインスピレーションに意味があるのだと思いました。

『円が15個』木材、インク

『くぼみ』は、会場を掃除して集めた埃を、初めこの隅に展示してスタートしたそうです。自分が鑑賞したときには、どこにあるかなにであるのか、わかりませんでした。今もここにあるのかもしれないし、人の移動で別の場所に移ってしまったかもしれない。意識の中に痕跡を残す作品です。それは気配と同じかもしれません。毎日こう感じているとけっこうしんどいと思いますが。

『くぼみ』(埃)

『余白2』。一通り作品を見たと思って階段を上がったあと、ギャラリーオーナーの方に「紙が置いてあるのを見つけられましたか?」と聞かれて、まったく知らなかったことに気づきました。A3サイズの紙からA4サイズを切り取った跡とのことですが、配置された白塗りの階段と白色度が近くて空間的に脱皮しているような感じ。なんだか、隣の階段を登り降りする足跡にも目が行きました。

『余白2』(紙、鉛)


この飯島さんの作品は、設置するもののささやかさなどから、自分が過去見たものの中では内藤礼さんの作品に近いのかなと思ったのですが、美術的な美しさも排除しているあたりに違いがある、というようなお話をいただきました。言われてみるとたしかに、そしてひとつの観念を表すものでもないよなと思いました。
また作品を見てみたい作家さんです。

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