『第4期所蔵品展 匂ふやうな灰色 I期』『#みまのめ vol.10』@北海道三岸好太郎美術館
年の瀬、年内最終営業日の12月28日に鑑賞してきました。年末年始は12月29日〜翌1月3日まで休館とのこと。
同館はよく所蔵品展といっしょに、道内の若手アーティストを紹介する企画をやっていて、地元作家の作品を学芸員の解説付きで学ぶことができる機会を提供してくれています。
もともと目当てはその企画展「みまのめ」だったのですが、所蔵品展の魅力もじわじわと尾を引く良さでした。同館の所蔵品は他の機会に何度も見ていますが、観るたびにまだ見終わっていないという後味が残ります。
所蔵品展 匂ふやうな灰色 I期
31歳で夭折するまで、目まぐるしいスピードで作風を進化させていった三岸好太郎。鮮やかな画業の変遷を一覧できる内容でした。
僕は後期の貝殻、蝶の作品群が好きです。空想の中のおだやかな自由の世界を感じて、ずっと画面を眺めていたくなります。
今回「飛ぶ蝶」がマグネットになっているボードがあって、自由に画面を作ることができて面白かったです。
あの蝶はなんか蛾みたいなもけっとした色をして、飛び立つ様子もなんだかスローに見えるあたりがユーモラスで素敵です。
なにやら当時の結婚生活に色々あって、人間としては善良と言い難い人だったようです。しかし、死後元妻の節子さんが作品をまとめて寄贈して設立されたこの美術館、訪れるたびに少しずつ理解が進み、絵を描くこと、表現する人の業が見えてくるような気がします。
みまのめ vol.10
今回のみまのめは、4人の作家が登場。まだ高校生という清水芹春さん(普通に道展系の上手い人だなと思って見ていたのでびっくり!)の熱量あふれる絵画や、作業員や通行人を遠目の視点で構成し、独特の「温かな静寂」を感じさせる佐藤寧音さんの版画など、見ごたえがありました。
そのなかで、さらに知りたい気持ちになったのが、秋元さなえさんと川村正寿さんの作品。自分にとって、お二人の作品には、美術で表すことができる「自分由来の物語」の面白さが溢れていたように思います。
秋元さんの作品群は、表現したいことに合わせて絵画や織物、日光写真などさまざまなメディアを使いこなす現代美術の空間でした。
なかでも、本人と関わりの深い場所を地図上で線で結び、それを場所にちなんだ鉱物・石を使って立体の星座に見立てた「あさひ」「やまと」「地図の星々」などが鮮やか。自分の目で、ここにいること自体、人生を見つめて、大切なもの、永遠になるものを作ろうとしているという行為に惹きつけられました。
会場に数点置いてあったZINEは、館内のカフェきねずみで購入可能ということでしたが、当日は残念ながら臨時休業。今度見に来たいな。
川村さんの作品は、なにかとろけるような画面が特徴の油彩。描いているのは身の回りの景色ですが、カメラで明確に写し取ったり目で見た目の印象のみを絵画の技法で実現するのではなく、自分が感覚した気配の世界です。
「スイミング・イン・ザ・モーニング」は、早朝歩いた時に五感で知覚した世界と実際の視覚がないまぜになったような画面。そして本人だけではなくて、たとえば自分も学生時代こんな景色を見たかもと、どこか共感できる余白があるように思います。
ぜひ作家の言葉と一緒に絵の中に入り込みたい作品たちです。
僕が美術を観るのが好きなのは、たぶんそこに一人の人や背後の社会の姿が、独力で立っているように見えるからなのだと思います。
その人にしかない「自分由来の物語」を見られるのは、平日、フォーマットに合わせるのが是とされるビジネスの論理で生活せざるを得ない自分のもやもやを、開放してくれます。
少々大げさにいうと、自分一人が感じたことを追究して、残る形で人前に出すということは、間違ったら些末とされてしまう人生の肯定だと思います。
ご飯を食べるための労働(最近はじつに多様な価値観を含んでいるように見えてはいるものの、まやかしに感じることがある)は必要とはいえ、そのレールにない価値観に力を込めて生活することの強さ、そのおかげで出合えるたくさんの世界の断片ととどまることのない広がり、こちらも今や不要(不急)とは言えないものでしょう。
こうした作品たちは、やはり展示空間でしか出合えない、本や音楽とは異なり空間で観る芸術だから味わえるものなのかな、ということを考えつつ、やっぱり僕は展示観るのが大好きなんだな⋯⋯とシンプルに観る喜びを感じた一日でした。