17.3.11に福島で見た光景
今日は3月11日。今から8年前の2011年3月11日に、東日本大震災が起こった日です。
当時はまだ学生で、ちょうどその日は栃木まで免許合宿に参加している日でした。乗車中に地震に遭遇し、信号は止まり、合宿所も停電。
ふとテレビがつながったと思えば、大波が直撃する映像が流れ、東京も電車がすべて止まったという中継が目に入ります。
周囲を含め、ただ呆然として立ち尽くしたことを覚えています。
2017年3月11日
それから6年後の2017年3月11日。
中国でYoutuberのような活動をしている友人が(自称 中国で一番有名な日本語教師w)、
経済産業省から今の福島を発信して欲しいと、動画制作の仕事を受けたため、手伝いも兼ねて2人で福島に行ってきました。
現地に到着すると、駅前で追悼式が行われていました。
当時の写真などが飾られる中、現地の議員さんたちが集まり、黙祷をします。
また、夜には駅前にキャンドルが並べられ、通りゆく人たちが足を止めてキャンドルを眺めていました。
ただ、すごくしんみりしているかというと、それだけではないんですよね。
もちろん、ふと思い返す当時の感覚にぐらついてしまうし、遠く離れた東京から、テレビを通じて見通す福島に感傷的になってしまいがちですが、数年たった福島には他の街と変わらない日常が流れていました。
居酒屋はいつも通り営業して、店長さんや現地の方々は楽しそうで。
現地に足を運んだからこそ、フィルターのない世界を覗くことができました。
避難区域を訪れる
翌日、原発に非常に近く、避難区域となっている地域にも足を運んでみました。
すると、当時は家が連なっていたエリアまで来たものの、見渡す限り何もありません。数100m先まで文字通り何もない。
すべて流されてしまった場所だということでした。
ただただ衝撃が走り、唖然として言葉が出ないもので。
福島駅周辺で流れていた日常から、「テレビで放映されるほどの悲観する状況ではなく、立ち上がってきているんだろうな。」
そう思っていたものの、いざ目にすると、立ち尽くすことしかできない...。
また、その後避難区域を車で通過したのですが、電柱の高さほど草が生えている状況で、荒廃した場所という印象を受けてしまいました...。
それでも
避難区域からの帰り道、友人と車の中で、こんな話をしました。
「避難区域の光景は、目に焼きつくようなものだったけど、本当にそこだけ。福島駅周辺は、通常の場所と変わらず生活があって、都市になってる。ただ、海外では東北全体が避難区域と同じようなみられ方をされている。その誤解を解いていきたいね」
当時の記憶は消えないですし、避難区域は手が付けられないような状態。
それでも、それ以外の地域は立ち上がっていて、生活もできれば、遊びにもいける。当時を思い返して黙祷を捧げながらも、今を見ていくことの大切を感じます。
これからも、災害は時や場所を選ばず起こってしまうものですが、自分にできる支援をしつつ、現地にも足を運んで、本当の姿を見届けていきたいと思tっています。