女性誌はなぜ決めつけてくるのか
ほとんど雑誌は読まないが
昔から、私は「雑誌」の類はほとんど読んでいなかった。遡れば小学校時代は「りぼん」「なかよし」世代だったのだが、我が家では定期購読は許されていなかったので、本当に買いたい付録の時だけ自分の少ないお小遣いから購入していた。付録目当てのところも大いにあったと思うが、漫画自体も好きだった。でも結局好きな漫画は単行本で揃えたほうが良かったし、定期購読できない制約をおしてまでお小遣いを投入する対象ではなかった。
ファッション誌の類は、高校生の時に少し参考にしたくらいで、これまた定期購読はしていなかった。結局、自分の人生の中で定期購読した雑誌は皆無だ。
とにかく決めつけてくる
これは多分バイアスが掛かっている意見だと思いつつも、昔から雑誌、特に女性誌は「決めつけ」がすごいと思っている。女性誌の歴史に詳しくないので専門的なことはわからないが、毎号毎号「ダイエット」や「愛されメイク」「愛されコーデ」は鉄板ネタだし、なんというか「これが正しいのだ」という論調でコーディネートやメイクを指南してくるところが自分と相容れなかった。「これが今風」というのが知りたい人間にとっては重要な情報源だったのだろうが、それを特に必要としていない私には不要だったのだろう。毎号代わり映えのないテーマと「今風」を追い求めた記事のために毎号購入する気にはなれなかった。
役割は変容していると思うが…
とはいえ、昔と今とでは随分状況が違うだろう。昔は雑誌がある種の「最新情報」を提供する媒体であったのだから、「今風」を追求した誌面づくりにも意味があった。だが、インターネット普及以降は、雑誌自体のターゲットも多様化し、多彩な雑誌ができては消えていった。多様性が尊重される社会はもちろん歓迎だと思うが、それでもなお「愛されコーデ」系の特集がタイトルになっているのを店頭で見かけると、ここはいまだに変わっていない世界なのだろうかと思ったりする。
モデルと比較しても無意味
私の友人に、「女性誌はファッションしか見ていない。モデルの顔は全く興味がない」という人物がいた。私は、ファッション誌(女性誌)は、モデルがどの雑誌に出ているかで出荷数が変わるものだと疑っていなかったので、彼女の雑誌の見方には目からウロコだった。そういう見方をする人もいるのだな…と思ったが、彼女のような雑誌の見方をしている人は少数派ではないかと思っている。モデルと比較しても無意味なことはわかっているつもりだ。だが衣装を着る「モデル」としてだけでなく、プライベートのキラキラな部分も見せるのは、憧れを象徴する存在としてあえて読者に向けて意識付けされているように思えて、その恣意的なところも自分とは相容れないと感じていた。この「キラキラ見せ」方式は、現在のSNSにも通ずるところがあるように思う。
兎にも角にも、決めつけもキラキラ見せつけも、私には不要だった、というただそれだけのことだ。