[読書ノート]26回目 3月14日の講義(第二時限)
講義集成13 1983-84年度 317頁~338頁
今回のまとめ
伝統的哲学をご破算にする
ルッキズム批判の元祖!?
哲学者は悪口を言われてなんぼ
フーコーは、真の生というテーマをキュニコス主義が反転させ、それによる、真の生の別の生への移行、転倒、変容こそキュニコス主義のスキャンダルの起源であると述べる。【今回は4つの反転のうち3つがとり上げられます】
隠蔽されざる生の反転
原則のラディカル化
キュニコス主義による変質、その価値転換は、いわば最も単純で無媒介、直接的なやり方でなされる。すなわち、生そのもののなかでの生そのものによるその原則の誇大化というやり方である。
非−隠蔽という規則は、キュニコス派の人々にとって(エピクテトスやセネカの場合のように)、行いの理想的な原則ではない。彼らにとって非−隠蔽とは、生を、その物質的で日常的な現実においてかたちにし、可能な限り数多くの他の人々の実際の視線のもとで行うことである。
(具体的には)家を持たず、衣服もほとんど身につけない――キュニコス主義的生には、私生活もなく、秘密もなく、公開されざるものもないということ。キュニコス派は街路で暮らし、神殿の入口に住む。公の場で食事をしたり(これは伝統的ギリシアでは簡単には認められていなかった)、自分の欲求や欲望を満たしたりする。また人々が数多く集まるところにはどこにでも駆けつける。
非−隠蔽の原則のこうした誇大化、劇場化には、ただちにその諸効果の反転が伴う。そのようなラディカル化そのものによって、ラディカルに別の生、他のいかなる生にも還元することの不可能な生が現れる。
キュニコス派のゲーム(の解説)
隠蔽されざる生は、何も隠蔽していない以上悪を行うことのないような生である。ところで、自然が我々のうちに置いたもののなかに、悪などありうるだろうか。逆にもし、我々のうちに何らかの悪があるならば、それは、人間がその習慣、その臆見、そのしきたりによって、自然に何かを付け加えたからではないか。したがって、非−隠蔽は、【当時の伝統的哲学が推奨するような】慎みにもとづく習慣的で伝統的な限界、人間たちが認めており不可欠であると想像しているその限界を、受け入れてはならない。
伝統的な哲学的思考のスキャンダル
このように、キュニコス主義は、隠蔽されざる生という最も一般的な原則を、厳密で単純かつ荒削りのやり方で適用した結果、伝統的な哲学的思考が、隠蔽されざる生というスローガンのもとで、結局のところ、慎みの要請を立ててそれを継続し、慎みの習慣を受け入れていたことを(明るみに出し)ご破産にしてしまう。これが、(キュニコス主義が実践する)慎みを欠いた生、恥知らずの生である。
キュニコス派の哲学的生は、一般的なテーマを展開しながらも、それを取り決めにもとづいた原則のすべてから解放し、その結果、他のあらゆる形式の生とは別の生として現れるのだ。
非依存的な生の反転
今度は、混合なき生について――古代哲学にはそこからおおよそ二つの生存のスタイル論がもたらされた。一つは、プラトン主義のなかに見いだされる純粋さの美学(魂から無秩序や混乱の要素を取り除くこと)。もう一つは、エピクロス派とストア派に見いだされる非依存、自己充足、自給自足のスタイル論。
キュニコス主義的生は、このコンセンサス(混合も依存もない生という原則)を、物質的、身体的、肉体的な誇大化と呼べるようなかたちで徹底するが、それはもちろん、貧しさというかたちで具体化される。
ギリシア・ローマの文化が念頭に置いていた対立
古代ギリシア・ローマでは、絶えず、社会的に認められ有効とされた対立、社会を構造化する対立を念頭に置いてきた。それは、第一級の人々、優れた人々、力を持つ人々、教育があり権力を持つ人々と、その他――いかなる種類の力も持たず教育もなく財産もない人々とのあいだの対立である。
したがって、真の生の構成要素としての貧しさをめぐる問題は、古代の社会、文化、思考において単純な問題ではなかった。つまり、真の生は裕福な生ではありえないという原則と、真の生は優れた人々の生であるという原則とを両立させることに常に困難があったということ。いずれにしても、特権化されるのは次のような考えである。重要なのは、金持ちであるかそうでないかということではなく、財産への気配りに没頭したり、実際に財産を失った場合に動揺したりすることのないような、一つの立場、一つの態度を、金銭や財産に対して保つこと、というもの。
キュニコス主義的貧しさ
これに対し、キュニコス主義的貧しさは、①現実的な貧しさ――単なる魂の離脱ではなく、生存の簡素化である。それは、生存が【あるいは市民であるために】伝統的に結びつけられている物質的諸要素、生存が依存していると習慣的に信じられている物質的所要を、なしで済ますものである。
またキュニコス主義的貧しさは、②能動的貧しさであった。それは、財産に対する気遣い、獲得行為、あらゆる家政を放棄することで満足するものではない。財産に対する無関心や与えられた状況の甘受ではなく、ポジティヴな成果を得るために自己自身に対して行われる勇気、抵抗、忍耐の作業であり、目に見える貧しさのかたちでの自己自身の練り上げである。
最後にキュニコス主義的貧しさは、③終わりなき貧しさである。それは自分は余分なもののすべてから自由なのだと考えてそこで立ち止まる代わりに、常にさらなる簡素化が可能ではないかと探し求めるという意味。
ルックスに関するスキャンダル
混合なき生、純粋で自己充足的な生の可視的形態としての、能動的な貧しさ、その原則に忠実であることによって、キュニコス派は実際、醜い生、依存する生、屈従の生を送ることになる。キュニコス主義は、汚さ、醜さ、粗野で不格好な惨めさに価値を付与するが、人間の身体や身振り、個々人の態度や姿勢における美の価値および造形の価値にかくも強くつなぎとめられていた社会のなかでは(キュニコス主義のスタイルは)受け入れ難いものであった。身体的価値のそのような転倒が果たした役割は、おそらく些細なものではなかっただろう。(キュニコス主義の転倒によって)「倫理にも、行動の技法にも、そして不幸なことに哲学のなかにも、それらいまだに捨て去っていない醜さの価値が導入された」のだ。
より重要なこと
醜さへの価値付与よりも重要なことがある。それは、そのような絶対的貧しさのなかで、個人が依存の状況のなかに自らを見いだすに至るという事実。(キュニコス主義的貧しさが)そこで出会うのは奴隷状態だが、ギリシア人あるいはローマ人にとって奴隷状態よりもさらに重大なもの――物乞いの境遇へと導かれる。それは、他の人々への依存、その善意への依存、出会いの偶然への依存にまで押し進められた貧しさである。これは、古代人にとって、不名誉で、最も耐え難いかたちでの依存の身振りだった。
さらに重大であったもの
キュニコス主義的貧しさは、そのような境遇よりもさらに重大であったものに立ち向かった。それは、悪評である。名誉の関係が重要であった社会においては、当然のことながら、アドクシアにポジティヴな価値を与えることなどできなかった(ソクラテスであっても不名誉は避けられている)。
私(フーコー)の興味を惹くことは、非依存的な生という原則が誇大化され、絶対的な貧しさに達するとき、依存と不名誉に出会わざるをえないのだが、そうした屈従的状況が価値を持つのは、それがキュニコス派に対し、臆見や信仰やしきたりの現象のすべてに抵抗するための訓練を施してくれるから、というものである。そして屈従的状況が積極的に追求されるのは、それ(訓練という側面、臆見の縮減という側面)に加えて、そのように受け入れられた屈従の内部においていわば状況を反転させ、その状況に対する支配を回復できるようになるとう事実があるからだ。キュニコス派は、屈従の試練を通じて、自らの主権、自らの統御を(スキャンダラスな別の生として)確立するということ。
まっすぐな生の反転
自然の法の領域のみにしかかかわらない
まっすぐな生は、自然に合致した生であると同時に、法に合致した生、あるいは少なくとも、人間たちのあいだでの取り決めにもとづいた法や規則や慣習(といったあやふやな総体)に合致した生でもあった。
キュニコス派は、ただ自然の法の領域のみに依拠し、それにしかかかわらない(人間的なしきたりにかかわるにせよ、それが自然のなかにのみ見いだされるものと正確に合致している場合のみということ)。
動物性のスキャンダル
自然にのみ関連づけられるべきものとしてのまっすぐな生という原則の到達点にあるのは、動物性に対するポジティヴな価値付与である。そしてこえもやはり、古代の思考においてスキャンダラスなものだった。
大いに要約しつつ一般的なやり方で言うとすれば、人間存在は、まさしく自分自身を動物性から区別することによって、自らの人間性を肯定し、それを表明していた。これに対し、キュニコス派は、自然を準拠としたまっすぐな生という原則を厳密かつ体系的に適用することで、物質的モデル――動物がなしで済ますことのできるものを人間存在が欲求してはならないという考えに(反転させる)。
動物よりも劣らないようにするためには、動物性を、生の縮減された形式として、ただし、生がそうあるべき義務として引き受けることができなければならない(それはまた、応じなければならない挑戦でもある)。生存の物質的モデルであると同時にその道徳的モデルでもある動物性は、キュニコス主義的生において、一種の絶え間ない挑戦を構成する。
自己自身にとっての任務としての動物性のスキャンダルを、他の人々の前で引き受けること――一つの挑戦として応じられ、一つの訓練として実践され、一つのスキャンダルとして他の人々に投げつけられる人間存在の動物性は、キュニコス派によるまっすぐな生の原則が導く先にあるものである。
今回は以上です。次回は「主権的な生の反転」ですが、これは、以前の記事の④「変化も堕落もなく同一性のなかに自らを維持することができる生」(の反転)に対応します。
私的コメント
ありうる皆さんの感想であるとともに読解のポイントであるのは、「パレーシアどこいった」ということです。実際、今回のテクストの中で、パレーシアという言葉は一度もでてきていません。また次回でも、キュニコスの西欧文化への影響の例という文脈において一言だけ言及される……それゆえ割愛されるような箇所です。さらに言うなら、自己なり他者なりの統治というテーマももはや後景に退いています。したがって(と言っていいと思いますが)、勇気すら、少なくともこれまでのようには問題になっていません。勇気があるとしても――忍耐、修練などの背景としてのみです。
読書ノートしては、次回の分もまとめて一つの記事にしていたのですが、字数の問題で分割しました。「主権的な生」については、他より詳しく検討されるということでもあります。したがって、解説的なコメントは次回にします。
ということで、雑談を一つ。最近、講談社現代新書「今を生きる思想」シリーズでフーコーが出たそうですね。「後期」のフーコーをとり上げている点で共通するわけですが、もちろん読んでいませんし、読むこともないでしょう。だから、以下は、著者自身の(「現代ビジネス」の紹介)記事を読んだ程度の感想になります。
とりあえず、権力論から入って、統治の構想について書かれているようですね。フーコーの理解度はすごく高いと思います。……ただ、フーコー自身の時代背景(政治的行動)が、統治論(まして自己と他者の統治)の土台にあると(記事で言及されている)のはどうでしょうか? そりゃ、人物の歴史的事実としての背景には違いありませんが、私たちが見てきた/読んできた――自己と他者の統治についての理論的土台は、明らかにパレーシアです。そして(講義が進むなかで)それが現代の政治的運動に結びつけられるとき、フーコーが参照するのは19世紀の革命、つまり社会主義革命です。それは著者が言及するニューレフトではないということの方が、少なくとも統治についての理解、読解のポイントであると私は思います。
仮に、そういう背景が土台になっているとしたら権力論の方だと思いますし、実際、著者は権力論からはじめています。その内容は、かなり正確だと感じました。それゆえ、著書の「副題」のセンスの悪さが目を引きます(副題は一般的に編集者によることが多いです)。権力の「言いなりに」になるとかならないの話ではないというのが、フーコーの権力論の肝だし、仮にこの副題が自己の統治――あるいは「生き方」ですから、まさに「生の形式」の方から付けられているとしても、そこでは権力という言葉は背景に退いているのですから。