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ダイバーシティへの哲学的アプローチ

私などが、ビジネスにおけるダイバーシティを説明する必要はないです。その重要性を強調する必要もないでしょう。とても優れた記事を一つご紹介しておきます。

さて、必要がないのに取り上げるのは、哲学的に考えてみたいからです。
本来なら、ミシェル・セールの著作の紹介の後に記事にしようと思っていました。しかし、一応年代順に紹介していく方針上、ものすごく先になりそうだったので、フライングします。

ダイバーシティとは組織のノイズである

ミシェル・セール

セールは、フランスの哲学者ですが、哲学者という枠に収まらない、いわば天才です。著作の量も膨大です。ただ、あまり知られていないのではないでしょうか。以前、(小規模の)講演でセールについて話をしたことがあるのですが、ご一緒した哲学研究者は、セールのことをご存知ではありませんでした。

パラジットについて

セールの著作の一つに『パラジット』という本があり、翻訳もされています。寄生するもの、寄食者などの意味ですが、セールは一冊使って、このパラジットという言葉の意味の広がりを描いていきます。
パラ(pra-)というのはパラソルのパラです。パラソルは、太陽の光を「拡散」して遮るものですね。この接頭辞(せっとうじ)についてセールは、「外側にズラす」「外への出口であり入り口」「中に入ってきて秩序を乱すもの」「ノイズ」というように意味を広げていきます。パラジット(寄食者)は、家の主人のおこぼれで生活するネズミ(子ども向けの絵本によく出てきますね)であり、これは私の例えになりますが「借りぐらしのアリエッティ」(この作品が相対的につまらないといわれているのは、子ども心が忘れられているからでしょう)です。つまり、家なり農園といった、秩序があり、手を尽くしても完全には防げない穴から入ってくる外部の者。それにもかかわらず内部に住んで、あきらかに共益関係ではない(つまり利益は寄食者側しかない)共生関係をつくるものです。パラジットは排除の対象であり続けるんですが、秩序に影響を与える存在でもあります。例えば、音楽をやっている人は、ノイズの重要性は知っているはずです。ノイズは主旋律の外部にあるものですが、その音楽のライブ感をつくっているのは、むしろノイズです。説明が長くなるのでこれぐらいにしますが、なんとなく、イメージができたのではないでしょうか。

ダイバーシティへの取組みとはパラジットを受け入れること

ビジネスでダイバーシティが必要とされている理由はさまざまでしょうが、ようするに変化が必要だからです。そして変化のためには外部の刺激がいるんです。もう一度いいますが、パラジットとは「外への出口であり入り口」ですから、ぶっちゃけ、パラジット必要とされていると言い換えることができると思います。
ここまで読んでいただいた方なら、「ダイバーシティ&インクルージョン」という言葉に説明がいらないということが分かっていただけると思います。パラジットは、必ず&なのです。つまり、勝手にインクルージョンしてくるのですから、これを分けて考えるのは、間違いというより軽微な取り違えでしょう。「ダイバーシティとインクルージョンの違い」を解説しているような記事もありますが、それはたぶん難しく考えすぎているだけです。

ダイバーシティのデメリット

しかし、ダイバーシティを扱う(ビジネスの)記事は、明らかに偏っています。多くの記事がダイバーシティのメリットしか取り上げていません。他の話題、例えばリスクとリターンの関係などでは両面を捉えることができるのに、メリットとデメリットは一体ということが、書かれていないのです。いや実際は、現場の人は知っているはずですから書けない理由があるのでしょう。
デメリットは、きわめて単純で秩序が乱れるということです。しかし、秩序が乱れることによる変化がほしいのです。この、誰が考えても表裏一体のうち、メリット(よい変化)だけを得ようとするのは、無茶です。こういうことをしようとするコンサルタントは錬金術師のようなものです。

ダイバーシティは倫理的テーマ

ダイバーシティについてクリティカルに考えること

ダイバーシティについてクリティカルに考えた際のポイントは、パラジットとしての特性です。ここからメリット得たいなら、デメリットを許容しないといけない。一方的な利益供与を許容しないといけない(ビジネスマンは前向きな人ほどウィン・ウィンの関係「しか」考えられない傾向があります)。そして、パラジットによって、自分(あるいは組織)が変わっていくことを受け入れないといけない。制度の面でいうなら、寄食者(外部)を完全に内部化しないで、内部にいてもらう施策が必要ということです。これは、ダイバーシティ、エクイティ&インクルージョンというときの「エクイティ(公平性)」に関わることです。

だれを雇用するか

SDGsとか言い出す少し前、CSR(企業の社会的責任)がコンサルの飯の種になった時期がありました。こう書くと、悪いことのように思われるかもしれませんが、CSRはとても大切なことです。ウェブサイトなどにCSRの取り組みを載せている企業は偉いと思います。
しかし、CSRにもポイントがあります。これはそもそもヨーロッパ発の概念ですが、発端において主要な関心事は雇用についてでした。昨今は、企業の社会貢献に注目が集まり、企業によってはユニークな取り組みをしている例もありますが、企業の社会貢献の一番の基本は雇用です。私は、利益を出している企業は単純に偉いと思うのですが、それは「人を雇い、顧客や社会のニーズを満たすような仕事を創造し、従業員にそれをさせて適切な給与を与える」これができているからです。
そして、ダイバーシティに話を戻せば、この雇用……つまりインクルージョンの幅を広げようという取り組みなのです。これまで雇ってこなかった、もっといえば排除してきたような人たち(健康に問題を抱えている人、育児しながら働きたい人、障がいを持っている人など)を雇う。そして、その人たちの不定型な能力や個性を活かして、利益を生んでいく。普通に給料を払う。普通のことかもしれませんが、普通だから大事でないわけではない。普通だから簡単にできることでもない。これは、企業が挑戦すべき倫理的なテーマなのです。

さいごに

倫理的かどうかは、価値判断の基準のひとつになります。倫理的な会社はいい会社。それでいいと思いませんか。クリティカル・シンキングのメリットの一つは、シンプルに考えることができるということです。もちろん、なんでもかんでもシンプルにしたらいいとは思いません。最近ではむしろ、複雑なことを過度にシンプルにすることの弊害の方が目立っているかもしれません。しかし、そもそもシンプルな課題を一旦、カタカナを使いまくって複雑にしておいて、複雑な問題解決のためのサービスを提供する、そういう商売は感心しません。

あ、この記事、すごいカタカナ多かった……。


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