知識と体験
知識だけでは役に立たない。大切なのは行動を変えることができるかだ。
よくある主張です。同じように……
頭で考えるじゃなくて、実際にやってみろ
言葉よりも実践
などがあります。このようなビジネスシーンでよくある主張は常識的で実際的。経験に裏打ちされたまともな意見だと思います。
ところが、分かりやすい主張である一方で、独断というか、前提としているものの曖昧さがありますよね。今回は、哲学的な観点から整理して結論を明確にしたいと思います。
前提にあるもの:心と身体
以下、あえて単純化します。実際には両極端というより、グラデーションでしょうが、整理のため、ですね。
対比関係にあるのは、言葉(知識)――行動(体験)でしょう。これはほぼ間違いなく、頭(で考えること)・心――体(を使うこと)・身体からの連想だろうと思います。でも心と身体はリンクしているというのは、現代の私たちにとっては常識でしょう。それなのに、この古い二分法が常識として残っているんですね。常識(またはことわざといったようなもの)は、ある意味で生活の知恵の集まりですから、古いものが残ったり、正反対のニュアンスのものがTPOで使い分けられたりするものです。このような非厳密性は、健全なことだと思います。
それはさておき、知識――体験の対比において、体験の方を大事だと主張することの意図は、「やってみないと(結果は)分からないだろう」だったり「やったからこそ分かる(理解できる)ものもある」といったところでしょうか。そういう意味では、浅い知識――深い理解の対比だったりもするわけです。
反証1
では、しばしば言葉・頭・心の側の代表である「読書」は、浅い知識なんでしょうか。これについては、ある程度具体的にイメージしながら考えないといけません。よくあるシチュエーションとしては、例えば世に氾濫している「自己啓発本」。これはいくら読んでも、実際の習慣に結びつかないと意味ないよ、というのがありえますよね。たいへん親身なアドバイスなわけですが、逆に、習慣に結びつくほど実践したら、意味はあるわけです。その最初のステップは、読書ですよね。
反証2
本との付き合い方には色々あります。
私は、「ボロボロにして三回買い替える」ような読書は体験そのものだと思いますし、中身によりますけど上で書いた「深い理解」よりよっぽど深く身に付けるための手段だと思います。中身によるというのは、そもそも浅い内容しか書いてない本に、こういう付き合い方をするのはアンバランスだということです。だから、知識――体験の対比において、もう一つ隠れた前提は、(想定されている)本の中身は浅いものというのがあると分かります。
読書だけではない
代表選手として読書をとりあげましたが、これはセミナーでも、研修でも、資格(の勉強)でも、上司の教えでも同じですよね。知識を得る媒体が違うだけです。普通、体験に分類されるであろう、美術館に行く、ワークショップに参加するなども、構造としては同じことです。
でも、どれだって、活用すれば役に立つものです。最近はYouTube動画で職人が腕を磨く時代ですからね。そうすると、大事なのはいかに役立たせるかということで、その手っ取り早い手段が体験(やってみる)ということなんでしょう。
手っ取り早いことのトレードオフ
手っ取り早いというのはいいことです。多くの人にとって、早く成果や業績に結びついた方がいいですから。ただし、トレードオフになっているものがあります。なんだと思います。
私は、(本に書かれている内容で)体験できないことだと思います。もしくは実践できないこと。遠い未来予想に関するものだったり、まだ世に出ていない技術やアイデアだったり、理論上のもの(SFを含む)だったりです。これらは、原理的に体験できません。もし、体験を通してしか、役立つものにならないとしたら、これらは、原理的に役に立たない状態に留まることになります。
そんなことはない。と具体的な事例とともに思われた方も多いでしょう。そのとおりですよね。ゲイツでしたっけ? これからのビジネスマンが読んでおくべき本のリストとかを定期的に紹介するのは。そういうのにリストされる本が扱っているテーマは、今後の気候変動についてだったり、地政学的なリスクだったり、ようするに体験できないものではないですか。つまり、読書とは(手っ取り早く)体験できないことの体験、だと思うわけです。
体験できないものの力
ぶっちゃけ、体験できることなら、さっさと体験したらいいんですよ。読書は、想像というかたちでしか体験できないことを提供してくれるのです。だから、読書は体験だ、と私は思います。
ヴァーチャルなもの
すっごい高いですね。3000円ぐらいが定価だったと思います。図書館とかで見てください。
この本は、出たときちょっと話題になったと記憶しています。レヴィは、
ポテンシャル――リアル
ヴァーチャル――アクチュアル
の対応関係を示しました。
一般的にヴァーチャル・リアリティという言葉があるように、ヴァーチャル……リアルが対応関係と思ってしまいますが、そうじゃないということですね。ポテンシャルというのは、可能性ですが、現実(リアル)になるものが、事前に決まっている(内包されている)ものです。予測できるものという言い方もできます。
一方で、ヴァーチャルなものというのは、潜勢力と言われたりしますが、ここでは潜在しているものと、少し簡単に考えましょう。可能性と比べると、まだ現実になっていないという点では同じですが、現実のものになったときにどうなるか分からないという点で違います。アクチュアルというのは、今まさに直面しているといった意味合いです。
ヴァーチャルという言葉をめぐっては、まだまだ紹介したいことがありますが、興味がある方はググってください。少なくとも「仮想」という日本語訳は、ニュアンスがズレています。仮ってのが良くないんですね。英語の形容詞でvirtuallyという言葉の意味は、実質的にという意味です。一つ具体例を挙げましょう。実際のお金(リアルマネー)、10円ならコイン。1000円ならお札。これらは、実際はただの金属や紙ですよね。だけど、実質的に1000円札は1000円の価値を持っているわけです。つまり、お金というのはヴァーチャルなものの代表なんですね。よけいにややこしくなりましたか……。
ヴァーチャルという言葉の語源
では、話題を変えて……徳という言葉があります。例えば人徳のある人は、人を動かす(目に見えない)力がありますね。それはヴァーチャルなもの……というより、そのような見えない力(virtue)というのが、ヴァーチャルという言葉の語源なんです。こう考えると、ポテンシャルとの違いがある程度鮮明になるのではないでしょうか。
結論
では、結論はシンプルに。読書で得た知識は役に立たないと言っている人は、知識をポテンシャルとして捉えています。それは違います。知識とはヴァーチャルなものです。
したがって、ビジネスの場においてもポテンシャル人材というのは、どういう成長をするのかほとんど決まっている人のことで、育成という観点で大切になるのは、ヴァーチャルなものをどれだけ育てられるかだと思っています。
そうはいっても、ヴァーチャルなままなら役に立たないだろうと言われそうです。それはどうでしょうか。お金を使うとき、いちいち実際の価値を示しますか? そんなことはしません。ヴァーチャルな、紙に書かれた1000円という数字のまま使えるから役に立つんです。つまり、ヴァーチャルなものは、現実(アクチュアル)化することはできますが、実際にはする必要がありません。ヴァーチャルなままで力を発揮するんです。潜勢力のまま留まること……非の潜勢力、このテーマについてはアガンベンの紹介で取り上げることにしましょう。
もしサポート頂けましたら、notoのクリエイターの方に還元します