本の紹介:『ダーウィンの呪い』(2)
今回は読者にとってトリビアとなるであろうものを紹介風に並べていきます。繰り返しになりますが、私のこの本(以下、本書とします)の理解度は完全ではありませんが、(ラフな記述は勘弁してもらうとして)内容的な読み違えがないようにできる限り努力しています。疑問点などあれば、コメントをお寄せください。
それではジャブ気味に多くの人が知っているであろうから……
進化は進歩じゃない
それなのに、まさに「進歩」「目的(に向かう)」というニュアンスが含まれて日常用語で使われているよね、というものです。もっとも、科学用語が日常用語で誤用されるのは非常にしばしばあることなので、進化もそのひとつ、といったところでしょう。
ただし、「より良いものへの試行錯誤を含んだ変化」という意味ならいいだろう、と思う人もいるでしょう。それについて、「より良いもの」という言葉が含む合目的性だったり、そっちへの「一定方向」というニュアンス、これは違っています。引用直後の文章で著者も(進化は)「一定の方向ではなく、あらゆる方向に変化する結果、多様化が進む。」と書いています。だから、「退化も進化だ」と思っている人は科学的に正しく、かつ常識人です。
もうひとつ進化が「イノベーション」の意味で使われる場合はどうでしょう。引用部分にはありませんが、これも違います。同じく著者は(少なくともダーウィンにおいて)「(自然)選択によるわずかな変化が蓄積し、少しずつ漸進的に進化する。」と書いています。この点、例えば「進歩は漸進的変化であり、進化は飛躍的変化だ」というようなことを言う人が皆さんの周りにいるかもしれません。物事はね……そんなに単純じゃないです。ちょっと先走ることになりますが、現代進化学では、ここでいう漸進的変化(メンデル遺伝)と突然変異(による変化)は統合されています(177〜8頁参照)。
ダーウィンは進化という言葉を渋々使った
まず、著者も指摘するよくある誤解は、ダーウィンが進化という言葉を最初に使った人、というものです。この点は、「ダーウィンは最初、進化という言葉を使わなかった」と正しく知っている人もいるでしょう。しかし、何故そうした(あるいは、それにも関わらず後に使った)のかが大事です。
時代背景から見ていくと、19世紀前半の学術界ではすでに進化という言葉はふつうに使われていました。したがって、ダーウィンは『種の起源』では意図的にその言葉を避けたわけです。理由は色々あるでしょうが、(ウンチクの一つとして挙げるなら)エヴォリューションの語源はラテン語の「展開する」という意味の言葉です。もう少し詳しく言うと、中に種のようなものがあり、それはコンパクトに折りたたまれていて、それが一方向に展開するという、哲学に親しい人ならイデア論的なニュアンスを持っている言葉でした。先に書いたように、そういう目的論や一定方向的なニュアンス、これを避けたんだろうと思います。
進化という言葉は(ダーウィン以前に)「様々な現象の発展、発達、進歩や一つの目標に向かう変化を意味する語として使用されていた」(20頁)わけで、そういう意味では、先に槍玉に挙げた誤用は、(ダーウィンの言葉として言及しない限りにおいて)実は由緒正しいものだったりします。さて、当時の学術界での進化という言葉は、自然界の秩序ある発展というビジョンを伴って使われていたのですが、ダーウィンはそれを否定したわけです。一般的に「神が人を創った」のを否定したのがダーウィンの進化論と言われるのですが、この書き方だと、ある種の宗教的信仰の否定のように感じるでしょう。それも外れてはないんですが、メインじゃなくて、ダーウィンは当時の学術的常識を否定したという点、これが革新的だったんです。
ただし、ダーウィン自身、後にラマルクの獲得形質の遺伝の考え(※現代では否定されているもの)を取り入れていくなかで、進化という言葉を(改訂版など)著作でも使い始めます。別の面から言うと、ダーウィンは自らの革新的アイデアを強く世に訴えなかった(むしろ後退させた)のです。したがって、ダーウィンの進化論は当時の進歩観に衝撃を与えていません。というよりも、ダーウィン自らそれ(学術的な流行り)に乗ろうとしました。何故って? 簡単、お金に困っていたからです。ある程度流行りに乗らないと本が売れない、そういうことです。もっとも、結果は芳しくなかったようですが、それはまた別のお話。
生存闘争は比喩表現である
闘いで生き残るべし、あるいは生き残るための闘い――こういったニュアンスのメッセージでダーウインが持ち出されることもあります。その人は、ダーウィンを読んでないんでしょう。「例えば共生や協調行動のような、生存闘争とは対照的な振る舞いも、それが子孫の多寡に関わるならば、ダーウィンの生存闘争に含まれる。」(31頁)自然界(特に生物)を観察して着想を得ているのですから、ダーウィンは自然の中にある闘争的な要素とすべての生物の相互関係を共に見ています。だから、生存闘争(訳によっては生存競争)を、闘いの側面だけで取り上げるのは間違っています。自然界で生き残ること――それは人間という種を含めてですが――は、「要するに、絶対的な優劣も強弱もないし、理想的な性質もない。そもそもそうした価値観とは無関係なプロセス」(32頁)なんです。
自然選択は劣ったものの除去ではない
正確には、「劣ったものの除去」も含まれるが、それは割合としては大きくないです。少し詳しく見てみましょう。
ダーウィンは自然選択には創造性があると考えていました。一つは新しい変異が持つ創造性です。(偶然生まれる)他と違ったものが選択されることがキッカケで新しい方向に進化が進むというもの。もう一つは、変異の維持や除去のプロセス自体が持つ創造性です。ランダムな変異はそもそも存在しているもので、新しい環境に変わった場合に自然選択が作用して新しい性質が生み出されるというもの。この二点で創造性があるということです。
だから、自然選択と適者生存は概念的に違うものです(実際、ダーウィンはスペンサーの適者生存を当初無視していた)。ところが、往々にして同じような意味で使われる。その原因は、現代に至るまでの間で生じた混同ではなくて、実はこれもダーウィン自身の妥協です。当時、理解を得やすかった「適者生存」を自然選択の同義語として採用した。理由は繰り返しません。
ちなみに、ダーウィンに関する記事なので深入りしませんが、社会ダーウィニズムで(しばしば悪い意味で)有名なスペンサーですが、適者生存という言葉を使えど、実はそれは彼の理論の重要なポイントではありません。スペンサーだって誤解されているということです。
ダーウィンの進化論はパラダイムシフトではない
さっき、「ダーウィンを読んでない」ことを悪く書きましたが、それは例えば『種の起源』を読め、という意味ではありません。『種の起源』は大衆向けの普及書でした。大衆向けの本であることが問題なのではなく、「当時の」大衆向けの本であることが問題なんです。具体的には、「過剰な比喩や回りくどく情緒的な表現」のせいで読んでも誤解しやすく、「かつヴィクトリア期の風俗や社会になじみのない私たちにとって、ひどくわかりにくいものになっている」(66頁)からです。
難しい本というのは色々ありますが、内容が高度である場合は読み込めばなんとかなるものですが、このような時代背景(それに伴う素養、知識)のギャップが理由で理解が難しい本の場合は、私は推めません。質のいい解説本の方がよっぽど有益です。
ちょっと話が逸れました。当時に戻りましょう。しかし、実は当時も解説本がよく売れた時代でした。つまり、科学を題材に大衆的な読み物を書く、サイエンスライターが活躍していた(お金になる職業だった)んです。だから、『種の起源』がバカ売れしたわけではないものの、進化論が若干の時間差で一世を風靡し、大衆に受け入れられたのは、そういうライティングのプロを介してでした。こういう経緯でしたから、その「受け入れられた」内容は、当時の時点ですでにダーウィンの主張からズレていたんです。
さて、ここから節題に関わるのですが、さっき、ダーウィンは当時の学術的常識を否定したと書きました。しかし、それは、まさにここまで書いてきた複雑な事情によって、実質的には成功しませんでした。成果としては「神の摂理を、科学に基づく自然法則で置き換えたもの」程度だったということです。そういう意味では、科学史で言われるパラダイムシフト(相対性理論や量子力学)と同列の科学理論と考えるのは誤りということです。
話が行ったり来たりしますが、『種の起源』はそこそこしか売れなかったのに対して、ベストセラーになった本もありますベンジャミン・キッドの『社会進化論』(社会ダーウィニズムの大衆本と思ってください)。この本を内村鑑三は絶賛したそうですが、「夏目漱石は「愚論」と一刀両断にしている。」(80頁)とのことです。ま、後知恵ではありますが、哲学者といわれる人よりも小説家の方が聡明である一つの実例でしょう。ただし、キッドは20年後、後で取り上げる優生学が隆盛であったまさにその時、それを激しく批判し、下火になるキッカケをつくった人でもあります。
例の名言はダーウィンの言葉ではない
「最も強い者が生き残るのではない。最も賢い者が残るのではない。唯一生き残るのは変化できる者である」……省略や順序の逆転などバリエーションはいくつもありますが、ダーウィンの言葉(場合によっては引用)として一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。これは単純にダーウィンの言葉ではありません。そして誰の言葉かも明確で、メギルソンというケンブリッジ大の経営学者です。敢えてダーウィン自身のテクストでそれに近いものを探すなら……内容としては、進化の普遍法則は、最も強い者を生き残らせ、最も弱い者を死なせること、という記述があるぐらいです。これ、真逆のこと言ってますよね。
つまり、伝言ゲーム(によるミス)が発生しているわけです。そして、この伝言ゲームには興味深い人物が入っています。「彼(ダーウィン)はこう示唆している。この場合の最適者とは、肉体的に最も強い者でもなく、最も狡猾な者でもない。共同体の福祉のために、強い者も弱い者も等しく互いに支え合うよう連携することを知る者である」――即ち、クロポトキン。ちなみに、『種の起源』ではなくその後に出版された『人間の由来』からの示唆だそうです。メギルソンは、クロポトキンの『相互扶助論』からロシアの博物学者ケスラを知り、そこから……という伝言の流れだったようです。
クロポトキンのダーウィン(の進化論)理解はかなり正確なもので、上の記述も(誤った進化論的言説から)ダーウィンを擁護するためのものです。彼が、社会を上向きにも下向きにも変化し続けるものと捉えていたのも理解の正確さの一例です。対照的なのは、同じくダーウィンから影響を受けた同時代人、マルクス。あの人の唯物史観は(ゴール向かうという意味で一方向的)進歩的なものでしたから。
次の項目から、内容がガラッと変わり(時代も飛び)ます。「ダーウィンの進化論について」から、その延長線上としての「優生学」に――後者はこの本のメインでもあります――移るからです。その間には、現代の遺伝学までの推移がかなりの分量で丁寧かつ興味深い話題満載で扱われていますから、知りたい人は是非本書を手にとってみてください。
ナチスがお手本にしたのはアメリカ
ある歴史家はナチスの人種差別政策と優生思想のかなりの部分が、ダーウィンとその後継者たちが発展させた科学としての進化学に由来していると結論づけています。ただ、大事なのはその実行/実現方法(あるいは政策)を行ったのはアメリカが先で、ナチスはアメリカで進められていた強制不妊手術や社会的不適格者の収容、人種差別政策などをお手本にしたということです。
もっとも、系譜としてはさらに遡れて、まさに優生学の名付け親であるゴルトンはイギリス人です。したがって、引用文にあるように当時の科学的/政策的ブームだったんですね。ようするに、少なくとも思想的にはナチスはそんなにユニークではないということです。
IQテストの起源は優生学
言われてみれば違和感ないと思います。人の優劣を判断するには数量化が必須。IQテストは優生学由来の政策を普及させるための道具だったんですね。ちなみに、ギフテッド教育も優生学の一環です。
IQテストは一例で現代に残っているものは沢山あるんですが、ちょっと角度を変えて考えると……昨今のクソみたいな頼りない諸政策のせいで科学的エビデンスだったり、論理性が大事だという主張があります。それはほんともっともなんですけど、「科学による国家運営という正義が導いた論理的帰結」(197頁)が優生学だった――そしておそらくこれからも(形は変えど)そうであろう、ということは覚えておくべきです。言い換えると、悪人が悪事を働くのではありません。往々にして科学や正義が働くのです。哲学も無縁(中立)ではないです。なぜならその種の正しさは「道徳的正しさ」として語られるからです。
ダーウィンJrは優生学者
ダーウィンの息子、レナード・ダーウィンは、明確に優生学に与しました(英国優生教育学会会長)。理屈は通っています――つまり、自然選択は良くない結果を人類にもたらす場合があるので、それを人為選択による人類改良で防ぐ、というもの。ただし、理屈の裏にあるのは差別と偏見の反映にほかならない動機です。
差別的な動機を隠す、建前としての科学。こう書けば大した事ないように思うかもしれませんが、その建前の科学は(ロンドン)大学で圧倒的な政治力と発言力を持ち、(代表者が)王立協会のフェローであり、潤沢な研究資金があるという、実体をもったものです。
話をダーウィンJrに戻すとして、ダメ息子というわけではないです。知っている人は知っているでしょうが、ダーウィンのお祖父さんも医者であり発明家。ダーウィン家はぶっちゃけ貴族階級です。その中でみればむしろダーウィンの方がダメ人間ってかんじですが、それは学者に徹したが故のことと言えるかもしれません。
ダーウィン家との因縁、ウェッジウッド
優生学が下火になった理由がいくつもあるなか、ドラマチックな一場面を切り取るなら、このエピソードでしょう。ダーウィンJrの意を受けた優生教育委員会メンバーによる王立委員会報告書をもとに起草された「心神耗弱者の不妊手術法案」が議会に提出されました。起草にはチャーチルも加わっており状況は万全といえます。当然、全議員が支持します。その法案に立ち塞がる政治家がいました。ジョサイア・ウェッジウッド4世。
ウェッジウッドは、あのティーカップのウェッジウッドです。もちろん名家で、ダーウィン家とは複数の世代で婚姻関係を結んでいました。ダーウィン本人に関することでは(ビーグル号乗船を親に反対されたので)最後に泣きつき、親を説得してもらったのもウェジェット家の人を介してであったりします。
「この法案には人権が人類の利益に優先する、という視点が欠けている」「私たちの目的は、何よりもまず、あらゆる人のためのに正義を確保することである。それは、人種改良などという物質主義的なものよりも、はるかに大きな全国会議員の責務である」。(220頁)――現代から見ても、なんと素晴らしい反対演説でしょう。そして素晴らしいのは、この説得力のある訴えが功を奏し、法案がその場で否決されたということです。まともなことを言っても全くひっくり返らない議会などクソなのです
ちなみに、ジョサイア4世の思想的バックグラウンドは今で言うリバタリアニズムです。彼にとって自由は正義であり、国家が侵害することのできない個人の権利があるというのが信条でした。リバタリアニズムが即ち正しいというのではなく、イギリスにおいて優生学にクリティカルダメージを与えた実績があるということは覚えておきましょう。その意見を述べたのがウェッジウッド家の者というのは、ある種の因縁でしょう。
優生学と福祉国家
文字数的にそろそろ切り上げますが、この流れで最後に一点(以下、ざっくりになるのをご了承ください)。国家による福祉って、例えば今みたいに経済的に厳しいときに求められますよね。教育では奨学金、家庭では家族手当。こういったものの起源は優生学にあります。あるいは女性の社会参加といった運動もいくつもの国で優生学的運動と連動してきました。つまり気を付けないといけないのは、「人権」という言葉一つとっても、ジョサイア4世の言う個人の権利のことなのか、個人が国家に守ってもらう権利なのか、どっちにもなるということです。ようするに、人権の名のもとに行われる/求められる人権侵害もあるということです。
今も昔(取り上げている年代:一次大戦ころ)も北欧は高福祉、あるいは進歩的な福祉国家で有名です。でも実際にやったことは(スウェーデンを例にとって1934年から1975年までの間に)弱視や精神遅滞と分類された6万人以上の人々の不妊化です。日本だってしばしばニュースになりますね、優生保護法のもと約2万5000人を不妊化しています。以前に、保険や保育園などはナチスの発明と紹介したこともあります。手段はさまざまですが、基本的に国家による福祉と優生学との関係は覚えておきましょう。そして、そのような大きな国家の理論的対抗馬は小さな国家であり、それは現在でも変わっていません。
本書でトリビア的な箇所はまだあるのですが、本の後半に行くにしたがって、著者の主張に近づいてきます(今回の記事でも最後の方はそれがチラ見えしています)。次回は、そちらに重きを置きながらトピックを紹介し、私なりの考えも書いてみようと思います。
もしサポート頂けましたら、notoのクリエイターの方に還元します