実るまでの時間、季節の移ろい(早生まれの彼女、母の家族やその姉妹)
こんばんは
書く時間決めないとな
溜め込みすぎてて引っ張り出したらキリがない、、ですね。
先日、小学校のころからの友人と会った。
小学生で落ち着きがあった彼女は久しぶり会っても変わらない。
同級生誰もが認める変わらない人
ナンバー1 だ。
この年になると
お付き合いしてきた年月は自分年齢の半分はとうに超えていて不思議。
けれど会うたびに、知らない彼女、彼らを知る。
そりゃそうだ
どんなに長い付き合いの友人やら同級生でも、1日に、お付き合い頂けるのは数時間で。
他人の、人生には表も裏もある。
頭隠しておっぽが丸見えの時も有れば
灯台下暗しは船乗りには承知上です。
適度な距離感が、友人付き合いを続けるコツなのかもね。
実るまでの時間の話
実りの秋と言うけれど
夏に実をつけるものも、沢山ある。
と改めて気づく。
収穫の時期は生まれた環境や養分、光の与え方などなどで、同じ個体から花粉を貰った苗でも全く異なる。
ミニトマト🍅に気を良くして
今年初めてキュウリを植えた。
土がいいのか、生まれがいいのか?
はたまた里親になった生産者の愛情がそうさせるのか
今年はぐんぐん育つ。
あっと言う間に花開いた!
よくよく見たら既に小さなキュウリ!!
驚いた。
いつの間にか植物を育てる手を、いただいていたみたいだ。
大切にしよう。
これでお金を出さなくても
自分の健康の源のバロメータができた。
日々、母を訪ねて
支え励ましてくれる方々へ
花が萎れていたら、私のSOSです
と。
念のため伝えておいた。
自分を犠牲にしてまでも
植物を守る手足はまだ持ち合わせていないようだから。
ある意味丁度良い。
察して頂けるくらいで。
もし万が一
私に何かあっても困らないように
身辺のことを整理してみたりする。
最近だけれどね。
気になっていることが進んでいくうちに
備え有れば憂なし。
お陰様で少し不安が和らいだ。
備え有れば、、
と言ったら。時給自足は最強かも知れない。
祖母は早くに夫(祖父)を亡くし
戦争中手元にあった着物やらを売ってやりくりし
子ども4人を育てたらしい。
2人の姉と弟である一人息子の長男に挟まれた
私の母は
小学校に上がるか上がらないかの頃養子に出されたと聞いていた。
着物は農家の人のもとへ安くで買い叩かれたとも。
公務員であった祖父の置き土産が幸いにも役に立ったと思いたい。
親戚は少なくて
母はあまり実母の話をしなかった。
あたしも幼少期に一度きり宮崎で会ったきりだ。
高齢となり、病気がちになって長女のところへ迎え入れられた祖母が、入院した時。
見舞いを渋る母に連れられ一緒に見舞いに行ったけれど、そこにいるのは知らない弱った高齢の、女性でした。ただの。
3人姉妹の長女である叔母は自由奔放な人だ。
その時代には珍しかったと思われる働く、自分で働き続けた女性である。
(彼女は私の姉の憧れの叔母であった)
そんな叔母はずっと自分の名前が嫌いで名前を変える為に戦っていた。
彼女が戸籍上、希望通りの名に収まったのは彼女の晩年であり、
少なくとも私の知る親戚は
誰も彼女を新しい名前では呼ばない。
彼女は達筆な字で年賀状にその名をずっとしたためてきたけれど。
コミニケーション上手で堅実で何も育ってきた環境には不自由はなさそうに見えた母と歳の近いもう一人の叔母(幼き私はその叔母が憧れの人だった)は、私が大人になって昔話をしたら
「私、母のこと昔から嫌いなの」って、顔しかめて、話してくれた。
ちょっといたずらっ子の様に。
母の姉であるその叔母は子どもの頃から母を気にかけていた様だ。走る姉たちの後を母はよく追ってきたけれど、身体が弱かったのか、生まれたのが後だったからか私に分かるすべはないのだが
「いつもついてこられないのよ。胸が痛くなっちゃって」と、最近になって叔母は教えてくれた。
子供の頃、母は
「多分寂しかったと思うよ」とも。
母は母で
食いっぷちを外に出す。
なんてことは昔は良くある話でなんとも思わないと、ずっと言い張っていた。
母は、泣かない。
理由が、最近大分分かるようになってきた。
そんな母が
「かあさんが東京に出てきた時にもう少し会って、良くしてやれば良かったな」と
ボソッと私に言った。
祖母が亡くなったと知らせが入ったとき「そう」とだけ言った母が、
「かあさんも働いたことのない昔のただ嬢さんだったから
父さんが、なくなって4人の子ども良く育てたよね。」と話した。
女3姉妹は三者三様。性格、体格、職業、独身・家庭持ち皆、異なりすぎていて
笑えた。
自分が大人になってからのその集いの風景はもっと笑えた!
微笑ましかった位だ。
時間がかかりましたが
3人揃って良かったね。
そこに居合わせることができたことに感謝します。
電話の声だけはそっくりで、
「悪いわね〜」は、うり3つだ。
最近そこに、
従姉妹、姉、私が加わって
電話だと何がなんだか(笑)
私は私の声が嫌いだった。
歌の上手い姉のアルトの声が好き
姉は知っていたのか?
同じじゃん と昔から良く言っていたことを今思い出す。
そんなんで、キュウリに戻る。
苗は同じでも花咲く時期は皆ことなるんだね。しみじみ。
愛でること大切だな。
収穫はいつかしら?
強い苗を育ててくれた方にも
お安く仕入れて分けてくれる花屋さんも有難うございます。
美味しく食べられるように育てます。
変わって、再び同級生の彼女のこと。
彼女は背も、子どものときから高くて
滅多な事では動じない。
そろばんや暗算が、めっちゃ早い頼れる同級生だった。
「平均点出して」(先生)
先生が次々読み上げるクラス50人近くのテストの点数から平均点を
あっという間に割り出した。
あとから返される自分のテストの点数よりも彼女のその姿を惚れ惚れと見覚えている。定期テストが返される前のその時間が好きだった。
彼女は3月末生まれ
この1年て大きいような?
ここまで来たら変わらないような??
子どもを見るようになって知る。
早生まれのなかなかの大変さ。
「大変じゃなかった?」って
この前聞いたら
「かなり大変だったよ!なんでも。ついていくのにさ!」
って言っていた。
驚いた。
冷静に他人を観察し、落ち着いてゆっくりいつも同じトーンで話す彼女の優しさはそんな背景も関係しているのかも知れないと初めて思った。
その日、私が仕事を辞めてしばらく、元気がないとあらかじめ聞いていたその子とファミレスで朝から待ち合わせをしてお茶をした。
リフレッシュするというアロマミストボトルを袋にもいれずに私に差し出してくれた。アロマは数年前にお教室で勉強したそうだ。
「ありがとう」
きっともっとさ、アウトプットが必要な時期なんだよ。
と、 え?仕事も辞めちゃって、やる事なくて
新しく何かやらなくていけないと思っていた私。焦っていた、落ち込んでいた、
ヒントを得るために皆んなが今なにをしているのか根掘り葉掘り掘り出そうとしていた私は驚いた。意味がわからなかった。
「たまにさ、お茶かご飯でもまたしよ!」と、笑って言ってくれた。
休んで、クールダウンして、
今なら分かります。
私溜め込みすぎ!!!
吐き出させてくれてありがとうね。
お陰様で、noteもとれています。
なかなか減らなかった頂戴したアロマミストはここ数日でお部屋やマスクの下に振り撒いてあっと言う間に無くなりました。
空いたボトルに作ってみよ!!私も。
袋にも入れず、リボンもかけずに、頂いたプレゼントは
彼女の培ったさり気ない包み込む優しさなのだろう。
とても長くなりました。
5月生まれの私は
子供の頃は、割といつもリーダーとか班長とかで
しっかり者、きちんと自分の意見が言える、物覚えが良いなどと先生方から褒められ
そう思ってきたけれど
それって生まれた時期の差だけじゃない?!
と私は最近思うのでR。
元に年を重ねるたびに他己評価が異なってきているような、私がずれてきたのか謎。
長文にお付き合い、ありがとうございました。
おやすみなさい。
明日も良い日がきますように。
実ったら知らせます。
優秀な彼女は近所のドラックストアに、こつこつと長く勤めている。
コロナ渦でお疲れ様です。
このコロナ禍で忙しさは尋常ではないらしい。
市販薬、容量用法守れば結構強いよね!
頼りになる存在です。
彼女は暗算でテストの平均点を弾き出すことを先生に感心され、面白がられながらも頼りにされていたことを全く覚えていないそうだ。
そろばん教室に一緒に通っていたのは夢ではない事実だ。
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