読書の秋|垣谷美雨:後悔病棟
はじめまして、お久しぶりです。
垣谷美海さんの『 後悔病棟 』を読みました。
末期がん患者たちが人生で後悔していることを、不思議な聴診器の力でやり直す体験をさせていくお話です。
「あの時、ああしていれば…」「あの時、あんなことしなければ…」
誰でも一度はこのようなことを考えたことがあるのではないでしょうか。
かくいう私は、そこまで過去に固執することがありません。
今でこそ適応障害で休職中ではありますが、内定承諾したあの時の判断を後悔しているかというと、そうでもありません。
ですが、私がこの本を手に取ったのは『命が有限であることを自覚して、行動や考えが変わる』話が好きなのかもしれないからだと思います。
例えば、伊坂幸太郎さんの『 終末のフール 』という作品も好きです。
作中で、このような会話が交わされます。
人間誰しも、自分の命が尽きる日があることは知っています。
でも、おそらく多くの人は天寿をまっとうするのだろうと、なんとなく思っているのではないでしょうか。
しかし実際は『 後悔病棟 』で末期がん患者にスポットを当てているように、必ずしも天寿をまっとうすることができる保障というのはありません。
病気だけでなく、不慮の事故に巻き込まれてしまうことだって実際に起きてしまっています。
だからといって閉じこもってしまうのではなく
” 今できることを、今やる ” という考え方が大事なのかもしれませんね。
さて、『 後悔病棟 』では、末期がん患者が後悔なく旅立てるように、人生で残してきた後悔を医師が患者に疑似体験させるというものです。
「あの時、ああしていれば…」「あの時、ああしなければ…」という後悔があり、たとえばそれをやり直せたとしたら、誰もが希望したような展開を望むでしょう。
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※ この先、多少ネタバレを含んでいる恐れがあります ※
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私のように冷めた読者は、実際はうまく展開していかないだろうと思いながら読むこともあると思います。
ただ、作者もそれはわかっているようで、過去のある出来事をやり直したとして、その先に必ずしも良い展開が待っているとは考えていないようです。
さて、「やらずに後悔するより、やって後悔したほうが良い」だなんて言葉がありますよね。
決断することができない、そんなときのひと押しとしては良い言葉だと思いますが、この言葉が意味するところは本当に “ 真 “でしょうか。
確かに、やらなかったことに対しての後悔はずっと残るかもしれません。
では、やってしまったことで後悔することはないのでしょうか?
「なんで、あんなことしてしまったんだろう…」
「なんで、あんなこと言ってしまったんだろう…」
「あの時、こっちを選ばなければよかった」
結局、過去に後悔を抱いてしまうのは、その選択をした結果を知っている現在に満足ができていないからだと思います。
「子どもの頃にもっと勉強しておけばよかった」というのも、割と聞いたことがある言葉だと思います。
大人になると、子どもの頃よりも勉強に充てられる時間が限られてしまうのは事実だと思います。
ですが、子どもの時には子どもの時なりの優先順位があったはずです。
夢中になって見たアニメや漫画、友達と遊んだ時間が無駄なんでしょうか?
過去に戻れるとしたら、「おい俺、頼むからもっと勉強してくれ」だなんて言いますか?
今この瞬間に、未来から来たという自分が「おい俺、頼むから毎日トイレ掃除してくれ、毎日22時に寝て朝5時に起きる生活を習慣化してくれ」だなんて言ってきたら素直に受け入れますか?
この仮定が現実離れしているという点を考慮しても、私は素直に受け入れる自信がありません。
1日を有意義に使いたいという考えはありますが、結局のところ現状で落ち着いてしまっているのだと思います。
そしてこれは、恵まれたことなんだと思います。
思い描いていた未来とは違いますが、今は今で、どうにか過ごせてしまっています。
幸せ者なのか、能天気なのか、危機感が足りないのか。
現状から脱却したい思いはありますが、過去に対して大きな後悔はありません。
これから先、きっとまだ歩める未来も、後悔なく歩んでいけるように、今日、そして明日、1日1日を有意義に過ごしていきたいです。
(そんなことを言っていないで、もっと必死に生きてくれ、俺)
素敵な作品を、ありがとうございました。
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