違う人と共存すること
「この人は自分と価値観が合わない」
そうやって離れること、壁を作ることは簡単だ。
距離を置いてしまえば、自分と異なる意見の人とぶつかることはない。
けど今は、「違うな」「合わないな」と思う人とも共存したい自分がいる。
完全には理解できない。
分かり合えない。
もしかしたら一緒にはいられないかもしれない。
それでも共存したい。
共存とは何かって分からないけど、
少なくとも分断したり排除したり、関わりをなくすことではない気がする。
理解できなくても、
分かり合えなくても。
相手は相手のままで、自分は自分のままで、そこに居ること。
どちらかが妥協することも譲歩することもなく、
もちろんどちらかを否定する事もなく。
ただ互いがそのままで関われること。
それが私が言いたい「共存」なのかなと。
******************
それは思ったより難しい。
だって大事にしたい価値観が違うから。
何なら相手が持ってるものは、自分が遠ざけたい価値観だったりするから。
拒絶反応を示してしまう。
その中でも、相手の背景には何があるのか。
どんな環境や価値観の中でこの人が生きてきたのか。
そういうものも知りながら、少しだけでも何が起きてるのか理解したい。
自分の大事にしてるものも、分かってほしい。
違うものは違うままで、互いに「そうなんだね」って。
それは尊重というのだろうか。
いやそれよりもっと、「あなたはそれを大事にしてるんだね」って。
ただ見る。
そこに肯定も否定もない。
それが出来たら良いのかな。
難しいけどね。
今も葛藤し続けてるし、ぶつかってる。
でもきっとこうやって、ぶつかり合いながら進むしかないのかもしれない。
意見を伝え合って、ぶつかって、時に傷ついて。
そうやってもがいて、苦しみながら、互いを見ていく。
そんな過程を経ることで、ようやく共存できるのかもしれない。
(いや、もっと平和的に共存できる方法があるなら知りたいけど)
******************
でもこうやってぶつかれる人がいるのが、
そもそも有難いことなのかな。
「合わない」と思いながら、それでも
関わりを続けたいと思えるほど、好きな人がいる。
衝突する面倒くささや煩わしさがあっても、それを超えるほど好きで、大切な存在であること。
関係を切るのは簡単だけど、そうではない道を模索したいと思う。
そう思える人と出会えたことが、そもそもとても奇跡のようなことなのかもしれない。