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才能と学び方の真髄—現代の教育と自己成長の在り方

かつて、ある著名な英語教師に質問をした際、彼は「その質問には答えられない」と言った。私は「英語ができるからこそ英語の先生をしているのではないですか」と尋ねたところ、「もし英語ができたなら、もっと別の仕事についていた。英語ができないから、英語ができない子に教える仕事しか選べなかった」と答えた。この答えに、生徒としては意外に感じ、その教師をダメな講師だと思ってしまうかもしれない。しかし、実際にはその教師は業界でも名の知れた、丁寧で効果的な指導をすることで有名な存在だった。

私もまた、真面目にしっかりと教えることを心がけ、パフォーマンスや小手先の技術に頼る指導法を避けてきた。長年教師として第一線で活躍してきたが、成功して教師の道を選んだ人間は少ない。むしろ、他の職業で失敗して、最終的に教職にたどり着いた人が多い。例えば、会社を創業し、退任後に後進の育成のために教職に就く人もいるが、一般的には他に選択肢がなかったから教師になったという人が多い。

この現象は芸能学校の講師にも似ている。俳優志望者が通う学校では、講師の多くが一般には知られていない無名の俳優である。名のある役者たちは本業が忙しく、教える時間がない。また、彼らに指導を仰いだとしても、「教わらなければできないなら才能がない」と突き放されるのが関の山だろう。私もこの考えに賛同する。

俳優や芸術の世界では、才能がないと感じたら他の道に進むことも選べる。しかし、大学受験や就職試験などでは、そうはいかない。英語が得意でなくても、試験で高得点を取れなければ進学の道が閉ざされる。つまり、多くの人が嫌々でも英語を学ばざるを得ない状況にある。

結果として、英語を学ぶ多くの人々は、本来は英語が嫌いであり、やりたくないが、試験に出るから仕方なく勉強しているというケースが多い。すると、今度は英語を教える側にも影響が出る。英語が得意な教師は、自分にとって当たり前にできることが、なぜ生徒にとってできないのかが理解できないからだ。

例えば、私は数学が得意で、問題を見た瞬間に答えが頭に浮かぶ。しかし、それをどのように説明すれば良いのかが難しい。数学ができない人の気持ちがわからない。朝起きることが苦手な人の気持ちが理解できない人がいるように、得意なことができないという状態を理解するのは難しい。

英語が得意な教師にとっても同じだ。なぜ英語ができないのかがわからず、効果的に教えられない。しかし、英語が苦手だった経験を持つ教師であれば、自分の苦労を基にして教えられるため、生徒にとってもわかりやすい。つまり、教師の仕事は「できる人」が担当するよりも、苦労して克服した経験のある「できなかった人」の方が向いている面もある。

昔はこういった、できない生徒の気持ちがわかる教師が評価されていたが、これからの時代にはこの考え方は合わなくなってきている。なぜなら、できないことを無理にできるようにするよりも、得意なことを伸ばす方が人生において価値が高いからである。自分の適性がない分野に努力を費やすのではなく、得意な分野に集中するべきだというのが新しい時代の教育方針だ。

例えば、発音の良い生徒が、発音が苦手な教師に指導を受けることで、むしろ発音が悪くなることもある。つまり、指導の質が低いと、その影響で能力が低下する。最近の保護者の中には、なるべく一流の先生に教えてもらいたいと考える人が増えているが、現実的に本業で優秀な人が人を教える余裕はなかなかない。

今の時代、動画やインターネットを通じて一流の人から情報を直接得ることができる。わざわざ講座にお金を払って時間を割くよりも、ネットで一流の知見に触れる方が効率的である。もしその分野に適性があるならば、YouTubeやインターネットを駆使して自分でスキルを高めるべきだ。情報が豊富な現代、学びたいことに自ら飛び込み、独学で成長するのが本当の才能と言える。

とにかく、自分の好きなことを追いかけ、自分の信じる道を進むことが、今の時代の最も効果的なスキルアップ法である。

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