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試験の限界と日本人が忘れた情熱を取り戻す時

私はこれまで大学受験、就職試験、公務員試験など、多岐にわたる試験の指導を行い、プロフェッショナルとして第一線で活動してきた。その中で、多分野で超一流の結果を出し続けてきた人間はおそらく少ないだろう。20年以上も試験に向き合い続けてきた私が、最終的に辿り着いた結論がある。それは、「試験では真の人間性や能力を測ることはできない」ということである。

例えば、学校に入学するための試験では、たまたま良い点数を取った者が合格する。しかし、その人物がその後の学校生活でどれだけ充実した時間を過ごせるかは、必ずしも一致しない。試験が得意で入学しても、その後の生活で全く努力をしない人間も少なくない。現在では、試験を突破するための塾や教育機関が充実しており、試験だけを突破するためのスキルが身につきやすくなっている。結果として、試験に合格してもその後の成長や活躍が見られない者が増えている。

就職試験でも同様の現象が見られる。内定を得るためのテクニックには長けているが、実際の職場で成果を出せるかどうかは別問題である。表面的なテクニックだけで合格や内定を勝ち取った人間が、入社後に全く成果を上げずに過ごしてしまう例が多く見受けられる。

このような状況は、恋愛にも似ている。マッチングアプリの普及によって、第一印象を操作し、短期間で相手の気を引く技術ばかりが磨かれている。しかし、そのような上辺だけの関係は長続きせず、短期間で次々と相手を変えることが常態化している。このように、一瞬のテクニックに依存し、深い人間関係や成長が伴わない現象が、入試や就職試験にも当てはまる。

恋愛においても、入試においても、最初だけ上手く振る舞い、その後の関係や努力を怠る者は、人間としての本質を失っている。最初だけニコニコして契約が決まった途端に手のひらを返すような人間が増えている。こうした状況が果たして健全な社会を築くものだろうか。私は長年、入試や就職試験の指導をしてきたが、表面的なテクニックだけでなく、人間としてのあり方や、長期的な成長を促す指導を心がけてきた。人生において、何かを達成した瞬間がゴールではない。人生の真のゴールは「死」であり、その瞬間まで充実した生き方を貫くことが重要である。

試験や入試で合否を決めるというのは、本質的には無意味な行為である。短い試験時間でその人間の全てを理解できるわけがない。人の本質を知るためには、共に時間を過ごし、語り合い、その人の信念や心情、生き方を深く知る必要がある。危機に直面したとき、仲間と共に乗り越えることのできる信頼感こそが、人間を評価する真の尺度である。数時間の試験では、そうした深い部分を判断することは不可能だ。試験に頼って人を評価し続けることが、現代の社会の問題の一因ではないかと強く感じる。

かつて日本が「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と呼ばれた時代には、まるで家族や兄弟のように一丸となって、困難に立ち向かい、大きな成果を上げる気概があった。今の日本人はその熱意や団結を忘れてしまった。現代の日本は、人間関係が表面的になり、深い絆が失われ、自己保身に走る者が増えている。かつてのような、熱い心で挑戦し、仲間と共に歩む時代を思い出すべき時ではないだろうか。
今の日本社会は、他人の目を気にし、空気を読み合い、表面だけの関係に終始している。そんな現状に、私は強い疑問を投げかけたい。日本人よ、もう一度、心の底からわきたつ情熱を取り戻し、新しい未来を創造する勇気を持つ時ではないのか。

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