2020年 京都府立大学 二次試験 世界史

かっぱの大学入試に挑戦、32本目は京都府立大学の世界史。時代は古代・中世・近世・近現代。地域は西アジア・ヨーロッパ・東南アジア・中国・インド。問題形式としては用語記述2題+論述1題(歴史学科は論述2題)で計3題(歴史学科は4題)。では、以下私なりの解答と解説。

第1問 西アジア・モンゴルの歴史

問1.解答 リディア

解説 「アッシリア王国」の崩壊後に成立した王国と言えば、エジプト・リディア・新バビロニア・メディアである。リディアは小アジアに成立し、金属貨幣を使用した。

問2.解答 キュロス2世

解説 「アケメネス朝をおこし」たといえばキュロス2世である。バビロン捕囚の解放もおこなった。

問3.解答 地方にサトラップを置いて統治させ、「王の目」「王の耳」と呼ばれる監察官を派遣した。

解説 アケメネス朝ペルシアの中央集権的な政策の一例を示す問題。解答例以外でも、スサからサルデスまで「王の道」と呼ばれる道を作り、駅伝制を整備したことも中央集権化につながる政策と言えるだろう。

問4.解答 フィリッポス2世

解説 「アレクサンドロス大王」の父といえばカイロネイアの戦いに勝利したフィリッポス2世である。

問5.解答 ディアドゴイ

解説 「アレクサンドロス大王」の死後、大帝国を分割した「鎬京将軍たち」はディアドゴイと呼ばれ、彼らの争いをディアドゴイ戦争と言った。

問6.解答 ギリシアの文化とオリエントの文化が融合し、世界市民主義の思想が生まれた時代。

解説 ヘレニズム時代の特徴を説明する問題。ヘレニズムとはギリシア人の自称を指すヘレネスから来ており、ギリシア人の影響が強いが、アレクサンドロス大王の東方遠征によりオリエントの専制的な地域にギリシア人が進出した結果、ギリシアの市民主義的な文化とオリエントの専制主義的な文化が融合し、ポリスの枠を超えた世界市民主義(コスモポリタニズム)的な風潮が広がった。

問7.解答 パルティア

解説 「ササン朝ペルシア」に「先行する国家」と言えば、カスピ海東南部を支配していたパルティアである。

問8.解答 善の神アフラ=マズダと悪の神アーリマンの善悪二元論に立ち、最後の審判で善が救われるという特徴。

解説 ゾロアスター教の特徴を説明する問題。大きなポイントとしては、善悪二元論と最後の審判であろう。イラン人の間で信仰され、ユダヤ教やキリスト教にも影響を与えた。

問9.解答 ウァレリアヌス

解説 「シャープール1世」が「捕虜とした」ローマ皇帝と言えば軍人皇帝の一人であるウァレリアヌスである。

問10.解答 1206年

解説 チンギス=ハンがクリルタイで即位した年代を問う問題。いちいち年代を聞いてもなぁとは思うが、モンゴルの時代が始まった年代ともいえるので知っておいて損はない。

問11.解答 ナイマン

解説 「カラ=キタイを奪った」勢力は、同じモンゴル高原の部族であるナイマンであった。カラ=キタイである西遼はモンゴルに直接滅ぼされたわけではないことに注意したい。

問12.解答 カラコルム

解説 「オゴタイ」が建設した都といえばカラコルムである。

問13.解答 ワールシュタット

解説 「バトゥ」が「ドイツ・ポーランド連合軍」を破った戦いはワールシュタットの戦いである。「死体の山」という意味。

問14.解答 アリクブケ

解説 やや難。「フビライ」が「相続争い」で「打倒した」人物を問う問題だが、フビライと争っていただけのなら、ハイドゥが有名であるが、ハイドゥはフビライの死後も元に反発しており、「打倒」されたとは言えない。となると、ハイドゥに支援され、フビライの即位後に投降したアリクブケがふさわしいだろう。

問15.(1)解答 1271年

解説 フビライが国号を元に改めた年代を問う問題。これもやや細かい気もするが、4ハン国の分裂の目安となる年代でもある。

(2) 解答 金:中都 明:北京

解説 やや難。大都の、金のころと明のころの名称を問う問題。明のころは現在と同じく北京であるが、金のころは中都と呼ばれた。なお、遼のころには燕京と呼ばれていたが、金が首都としたときには中都と呼ばれるようになった。

問16.解答 色目人

解説 「中央アジア・西アジア出身」で、元の財務官僚として重用された人々は色目人と呼ばれた。

問17.解答 漢人

解説 「金の支配下にあった人々」で、「南宋の支配下にあった」「南人」と別なのは、漢人と呼ばれ、漢民族の他に契丹人や女真人も含まれていた。

問18.解答 『西廂記』『琵琶記』『漢宮秋』のうち2つ

解説 「元曲の代表作」ということで、特に『西廂記』と『琵琶記』が有名だが、『漢宮秋』も入るだろう。

問19.解答 郭守敬

解説 「授時暦」を作ったのは郭守敬である。

問20.解答 貞享暦

解説 「授時暦」が日本に取り入れられて江戸時代につくられた暦と言えば貞享暦である。

問21.解答 ローマ教皇:プラノ=カルピニ ルイ9世」ルブルック

解説 モンゴル帝国に派遣された使者のうち、ローマ教皇が派遣したのがプラノ=カルピニで、ルイ9世が派遣したのがルブルックであった。西アジアに進出しイスラーム勢力を圧迫するモンゴル帝国に関心を持ったわけである。

問22.解答 モンテ=コルヴィノ

解説「大都の大司教」となり「中国でカトリック」を布教した人物と言えばモンテ=コルヴィノである。

問23.解答 ジャムチ(駅伝制)

解説 「モンゴル帝国」が「交通路」の「整備」などを進めた制度と言えば、駅伝制である。モンゴルではジャムチと言った。

問24.解答 カーリミー商人

解説 「12世紀から15世紀にかけて」=アイユーブ朝やマムルーク朝の時代に「地中海とインド洋を結ぶ東西交易」で活躍した商人と言えばカーリミー商人である。

問25.解答 泉州

解説 「ムスリム商人」の交易により繁栄した港市で、広州の他で福建省にある都市と言えば泉州である。ムスリムからはザイトンも呼ばれた。

問26.解答 サマルカンド

解説 「ティムール」が建国した王朝の首都と言えばサマルカンドである。

問27.解答 サファヴィー朝はシーア派を国教とし、オスマン帝国はスンナ派を信仰していた。

解説 サファヴィー朝とオスマン帝国の宗教上の違いを説明する問題。サファヴィー朝はシーア派の特に十二イマーム派を信仰していた国家で、イスラームにおける多数派であるスンナ派を信仰するオスマン帝国とは対立することになった。

問28.解答 タージ=マハル

解説 「ムガル帝国」において「第5代皇帝」(シャー=ジャーハーン)が「妃のために建てた墓廟」といえばタージ=マハルである。

問29.解答 アフガーニー

解説 「イラン生まれの革命家」「パン=イスラーム主義を説き」で判断したい。

問30.解答 レザー=ハーン

解説 「カージャール朝」を滅ぼし「パフレヴィ―朝」を建国した人物と言えばレザー=ハーンである。

問31.解答 ホメイニ

解説 「1979年」にイランで「革命」を起こした宗教指導者と言えばホメイニである。それまで国王パフレヴィ―2世が進めてきた近代化政策に反対し、この結果第2次石油危機が起こった。

問32.解答 サダム=フセイン

解説 イラン革命時の「イラク大統領」はサダム=フセインである。この後のイラン=イラク戦争や湾岸戦争の時の大統領でもある。


第2問 A:ローマ法 B:ベトナムの歴史 C:イギリス史 D:辛亥革命

問1.解答 護民官

解説 「ローマ」において「平民を護る権限を持つ」のは護民官という役職である。

問2.解答 十二表法

解説 「慣習法が成文化」で判断。ローマで最初の成文法として押さえておきたい。

問3.解答 ホルテンシウス

解説 「前287年」「平民会の決議も国法として認められる」といえばホルテンシウス法である。

問4.解答 ハギア=ソフィア聖堂(セント=ソフィア聖堂)

解説 「ユスティニアヌス」が「コンスタンティノープル」に建てた「ビザンツ様式」の「聖堂」で判断したい。後にオスマン帝国によりイスラームのモスクとして使用された。

問5.解答 ボローニャ

解説 「北イタリア」の「法学研究で有名」な「現存最古の大学」はボローニャ大学。イタリアに関しては南イタリアの医学で有名なサレルノ大学も押さえておきたい。

問6.解答 ナポレオン(=ボナパルト)

解説 「1804年」の「フランス民法典」といえばナポレオンが制定したナポレオン法典のことである。当時の政治体制は統領政府であり、ナポレオンが第一統領であった。

問7.解答 安南

解説 「ベトナム」に「唐代」に設置された「都護府」は安南都護府である。

問8.解答 李朝

解説 「11世紀」「大越国」で「建国」だけだとやや答えづらいが、「13世紀」に「陳朝」に「かわった」で陳朝の前の李朝と判断できる。

問9.解答 大理

解説 「フビライ率いるモンゴル軍」が併合した「雲南地方の王国」ならば大理である。雲南地方は、唐代に南詔➝宋代に大理が存在していた。

問10.解答 字喃(チュノム)

解説 「ベトナム独自の文字」は漢字からつくられた字喃(チュノム)である。

問11.解答 黎朝

解説 「15世紀初め」に明から「独立」したベトナムの王朝は黎朝である。独立はしたが明の朝貢国ではあった。

問12.解答 権利の請願

解説 「チャールズ1世」に対し議会の「同意なき課税や不法逮捕などに反対」したのは権利の請願である。この時点では国王に対する「請願」という形をとっていた。

問13.解答 人身保護法

解説 「1679年」に制定された「恣意的な逮捕・投獄を防止する」法は人身保護法である。

問14.解答 権利の宣言

解説 「1689年」「ウィレム夫妻」が「承認」と聞くと権利の章典を思い浮かべてしまうが、リード文にその後「「権利の章典」として制定」とあるので、「権利の章典」の元となった権利の宣言が該当しよう。

問15.解答 カトリック教徒解放法

解説 「1829年」「非国教徒も公職につける」となれば、オコンネルらアイルランド人の運動により制定されたカトリック教徒解放法のことである。

問16.解答 武昌

解説 「1911年」「軍隊が蜂起」「清朝からの独立」とくれば、辛亥革命の始まりである武昌蜂起である。

問17.解答 興中会

解説 「孫文」が「ハワイ」で組織したのが興中会である。この後、東京にて他の秘密結社と結集して中国同盟会を結成した。

問18.解答 袁世凱

解説 「北洋軍をにぎる」でわかる人はわかるが、「孫文から臨時大総統の地位を譲り受けた」で袁世凱と確定したい。

問19.解答 宣統帝(溥儀)

解説 辛亥革命にて退位させられた清朝最後の皇帝は宣統帝であり、またの名を溥儀といった。

問20.解答 チョイバルサン

解説 「モンゴル人民共和国を建国」した中心となったのは、モンゴル人民革命党のチョイバルサンである。


第3問 A 武帝の対外政策 B 第一次世界大戦以降の軍備縮小

A 解答 漢の武帝は北方の匈奴に対しては、積極的に攻めて勢力を後退させ、また大月氏との挟撃を画策し、張騫を派遣した。同盟は成立しなかったが、西域の事情が明らかとなり、交易を進めることとなった。南方においては南越を滅ぼし、東方においては衛氏朝鮮を滅ぼして楽浪など朝鮮四郡を設置し、領土を拡大した。しかしこうした対外政策の影響で財政難となり、塩・鉄・酒の専売や均輸・平準といった経済政策を行うことになった。(196字)

解説 設問の要求は漢武帝の対外政策とその影響について論述すること。条件として「専売」「大月氏」「張騫」「南越」「楽浪」の語句を使用すること。オーソドックスな中国史の論述であるが、字数が限られているので情報を整理してうまくまとめよう。まず武帝の対外政策であるが、地域ごとに見ていくと、北方➝匈奴を攻撃、西方➝張騫を大月氏に派遣、南方➝南越を滅ぼす、東方➝衛氏朝鮮を滅ぼす、といった感じだろう。北方の匈奴については、衛青や霍去病といった具体的な人物を挙げても良いが、無理に描く必要もない。むしろ西方で張騫を大月氏に派遣した目的(匈奴の挟撃)と結果(同盟は果たせず西域の事情判明)をしっかりと書く必要はあるだろう。南方については南越の滅亡に合わせて日南郡などを設置したことに触れても良いだろう。東方は衛氏朝鮮の滅亡と楽浪郡の設置は必須情報。続いて対外政策の影響であるが、指定語句に「専売」とあることからも経済的な影響を考えたい。積極的な対外進出には経済負担がつきもので、財政難➝財政再建政策という事情を説明したい。具体的な政策として、塩・鉄・酒の専売以外に、均輸・平準に触れるとなお良いだろう。

B 解答 大戦中に発表されたウィルソンの十四か条において軍備縮小が提言され、大戦後、ヴェルサイユ条約にてドイツの軍備制限が決定された。1920年代にはワシントン海軍軍縮条約が締結されて主力艦の制限が決まり、後のロンドン海軍軍縮条約では補助艦の制限が決定された。しかしこの間に起きた世界恐慌の影響でファシズムが台頭してくると、ドイツではヒトラー率いるナチスが政権を獲得して再軍備宣言を行い、軍縮は挫折していった。(200字)

解説 設問の要求は第一次世界大戦以降の軍備縮小の歩みと挫折について論述すること。条件として「ヴェルサイユ条約」「再軍備宣言」「十四か条」「ロンドン」「ワシントン」の語句を使用すること。これまた字数以内にまとめるのが手間のかかる問題。展開としては、ウィルソンの十四か条で軍備縮小の提言(1918年)➝ヴェルサイユ条約でドイツの軍備制限(1919年)➝ワシントン海軍軍縮条約で主力艦の保有数の制限(1922年)➝(1929年世界恐慌)➝ロンドン海軍軍縮条約で補助艦の保有数の制限(1930年)➝ヒトラー首相任命(1933年)➝ナチスによる再軍備宣言(1935年)となる。この間、1927年のジュネーブ軍縮会議や1928年の不戦条約締結といった出来事もあったが、問題の趣旨や指定語句、字数の関係から特に記す必要は無いかと思われる。むしろ軍縮の歩みが挫折への転換となったファシズムの進展については触れておきたいところ。


第4問 (歴史学科のみ) A インドの民族運動 B ルイ14世の治世

A 解答 インド帝国としてイギリスの植民地下にあったインドでは、ベンガル分割令に対し、ティラクら急進派の下で国民会議派が反対運動を起こし、民族運動が高まることとなった。第一次世界大戦中にはイギリスはこの民族運動の高まりを利用し、自治を約束する代わりにインド人を戦争に協力させた。しかし大戦後のインド統治法は自治とは程遠いもので、むしろローラット法が制定されることでインドの民族運動が弾圧されることになっていった。こうした中、ガンディーが非暴力・不服従運動を起こし、イギリスの植民地支配に抵抗していった。しかし非暴力の運動はなかなかうまくいかず、ムスリムとの対立も解消されず、民族運動は混乱していった。この後、新インド統治法をめぐり民族運動が再び激化すると、国民会議派のネルーらが完全独立であるプルーナ=スワラージを決議し、運動に呼び戻されたガンディーによる塩の行進といった経済的な抵抗が行われるようになった。

解説 設問の要求は第一次世界大戦前後を中心とするインドの民族運動の展開について論述すること。条件として「インド帝国」「ガンディー」「塩の行進」「プールナ=スワラージ」「ローラット法」の語句を使用すること。「第一次世界大戦前後」という時期設定でどこまで書いたらいいか難しいところではあるが、一応時期ごとに情報を整理していきたい。まず[第一次世界大戦前]:大前提として、インドが「インド帝国」というイギリスの植民地領であったことは押さえておきたい。民族運動に関しては1905年のベンガル分割令をスタートにするのが無難だろう。これをきっかけに国民会議でティラクら急進派が主導権を握り、1906年のカルカッタ大会で英貨排斥・スワデーシ・スワラージ・民族教育の4綱領が決議。国民会議派の民族運動が高まる。一方でイスラーム教徒は親英的な全インド=ムスリム連盟を1906年に結成するが、今回問われているのは「民族運動の展開」なので、親英派の動きに深く触れる必要は無いようにも思われる。結局民族運動の影響でイギリスはインド帝国の首都をカルカッタからデリーに移すことになり、このことに触れても良いだろう。[第一次世界大戦中]:これはイギリスの「自治を約束➝戦争に協力させる➝約束は嘘でした」パターン。[第一次世界大戦後]:1919年インド統治法の不備・ローラット法による反英運動の弾圧➝1920年ガンディーによる非暴力・不服従運動➝民族運動の混乱➝1929年ネルーらによるプールナ=スワラージ(完全独立)の決議➝1930年ガンディー再臨「塩の行進」➝1935年新インド統治法という展開。この第一次世界大戦後の展開が特に大きいが、あまり大戦から離れすぎても論旨からはズレてくるので、指定語句の「塩の行進」までの展開をまとめると良いだろう。

B 解答 宰相マザランの死後、ルイ14世は親政を開始し、官僚制と常備軍を整え絶対王政を行った。財政においてはコルベールを財務総監に任じ、王立マニュファクチュアの建設や東インド会社の再興など重商主義政策を進めた。パリ近郊にヴェルサイユ宮殿を築き、壮麗な宮廷文化が形成された。植民地も拡大し、アメリカ大陸においてはミシシッピ川流域にルイジアナを建設した。外交においてはルイ14世は自然国境説を採り、南ネーデルラント継承戦争・オランダ戦争・ファルツ戦争などの対外戦争を積極的に行った。ハプスブルク家との対立から起きたスペイン継承戦争ではブルボン家のスペイン王位継承を認めさせた。しかしこうした度重なる対外戦争や、カトリック政策の一環としてナントの王令を廃止したことによるユグノーの国外流出により経済発展は滞ることとなった。

解説 設問の要求は1661年以降のルイ14世の治世について論述すること。条件として「オランダ」「コルベール」「自然国境説」「スペイン継承戦争」「ルイジアナ」の語句を使用すること。「1661年以降」とわざわざあるのは、それまでは宰相のマザランが力を持っていたためであろう。ポイントとしては、コルベールによる重商主義政策・ヴェルサイユ宮殿に代表される宮廷文化・北アメリカに植民地ルイジアナの建設・自然国境説に基づく対外戦争(南ネーデルラント継承戦争、オランダ戦争、ファルツ戦争)・ハプスブルク家との対立(スペイン継承戦争)・カトリック政策(ナントの王令廃止)、以上の結果としての経済の停滞といったところだろう。「自然国境説」という言葉自体は今の教科書からほとんど見えなくなっているが、ルイ14世の侵略戦争を説明する中で考察できると良い。あとは王権神授説を受け入れて「太陽王」と呼ばれたことや、官僚制と常備軍を整えた絶対王政を築いていったことなどに触れても良いだろう。ルイ14世の在位は72年と長期に渡っているが、教科書で触れられている範囲でまとめると良い。


以上で終わり。リード文が教科書の本文そのままみたいな問題も多く、もう一工夫あっても良いなぁとは思いますが、堅実な力を試すならこういう形になるんですかね。論述問題が選択制なので、実質倍ぐらいの解答・解説量になってしまいました。世界史の膨大な知識をどう整理するかって感じですね。

次回は大阪大学の日本史の予定。

#教育 #大学入試 #京都府立大学 #府大 #世界史

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