「たま」が好き
世界が激動した平成元年。
僕はまだ小学生だった。
正直「普通」とちょっとばかりずれた、今でいえばシブ専の子供だったように思う。
当時、ビートたけし主演の「浮浪雲(はぐれぐも)」というドラマが大好きで夜中にこっそり見ていたのだが
ある日のオープニングで当時社会現象とまで言われていた「たま」の「夕暮れ時の時のさびしさに」が、本人たちの出演で流れたのだ。
その中でベースをかき鳴らす「Gさん」こと「滝本晃司」のビジュアルに心をわし掴まれた。
翌日から、とにかく「たま」に関してクラスで聞き込みをし、本屋で雑誌を買い立ち読みをして情報を集めた。
インターネットなんて便利なものが普及するずっと前。
それでも当時、ワイドショーで「たま現象」と特集されるほど有名だった彼らの情報は次々と入った。
早速ファンクラブ「虚言倶楽部」に入り、「光GENJI」の次に買ったCDは「さんだる/たま」
柳原陽一郎、知久寿焼、石川浩二、滝本晃司人の4人からなるバンド
平成元年に「平成イカすバンド天国」の勝ち抜きイカ天KINGとしてデビュー。
4名それぞれが作詞作曲を手掛け、自身の曲は本人がボーカルを取るというソロアーティストの寄せ集め的なバンド。
(詳しくはWikipediaを見ましょう)
中でも当時の僕の推しは滝本晃司
ビジュアルは言うまでもなく、その声とメロディーは今でも耳に心地よく。
ちょっと鳥肌立つくらい好きだ。
幼馴染の友人が唯一理解をしてくれて、一緒にファンクラブに入り語ってくれたものだ。
連載が始まれば中学生にして「月刊カドカワ」を定期購読し、大槻ケンジや木根尚登、岡崎京子などに触れるきっかけにもなった。
ちょうど受験勉強を始める中学3年生になるころ「さよなら人類」をつくった柳原陽一郎が脱退をしたタイミングで、ファンクラブをぬけた。
そうするうちに彼らもメディアから消えていきなんとなく「過去の人」になっていった。
「3たま」と呼ばれ活動を続けていることを知ったのは、インターネットが我が家に導入されたころだったように思う。
ネットがつながって一番にやったのは「たま」のその後の検索だった。
「たま企画」を立ち上げ活動していると知った時には心躍った。
大人になって聴く「たま」の音楽はまた格別で、中でも知久さんの音楽が子供のころには「声の高い人」位の印象だったけど。
いま聴く彼の歌は、どこか物悲しく奥深い。
NHKのクリエイター発掘番組で見たこの「電車かもしれない」でもう、トラウマのレベルで心打ちぬかれたものです。
※アニメーションは「近藤聡乃」この人も大好き
そして「たまの映画」を撮り、伝説のうちに解散となった。
とはいえ、いまでもそれぞれに活動を続けておりyoutubeなんかでその歌を聴くことができる(CDも買えるしね)
彼らは何も変わらない。
僕にとっては故郷のような人たちだ。
日本語の不思議さと面白さを教えてくれた。
常識にとらわれない生き方を見せてくれた。
サブカルチャーに出会わせてくれた。
知らない世界をたくさんたくさん教えてくれた。
いまだ生でその歌を聴くことが叶わないでいる。
会いに行きたいな。
30年、ずっとずっと大好きなんです。
これからも歌い続けていてくださいね。
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