お萩
この連休、お彼岸で墓参をされた方々も多かったかと思う。かく言う私も、本来は所用もあったため、関西に帰省して兄と会い、夏と同様にお墓参りをするつもりだった。だが、兄の都合が急に悪くなり、それは叶わなかった。
お萩と言えば思い出すのが、家内の父方の祖母の作ってくれるお萩である。これが、絶妙に美味しいのだ。私は、甘いものは苦手だった。幼少期から家内の祖母に会ってお萩を頂くまでは。
祖母の作るお萩を最初に食べたようとした時、家内は私に言った。
あなたも食べてみてよ。何個でも食べられるから。
私が甘いものが苦手だと知っているのに、と、私は心の中で呟きながら、そのお萩を前にしていた。
そして、祖母が言った。
食べてごらんないさい。いくつでも、あるよ。
祖母にそこまで言われると、おばあちゃん子の私は、断れなかった。そしてた覚悟を決めた。食べよう。どうせならば複数個、食べることにしよう。
私が決意した時、家内は既に2個目を口に入れていた。
私は意を決してお萩を口に運ぶ。そして3分の1ほど口に入れて噛み始めた。
すると、なんとも言えない餡の味がして来た。しかしその味は、それほど甘ったるくなく、ほどよく口の中に広がった。
おいしい。
正直な感想は、それしかなかった。
私は、甘いものでも特に粒あんが苦手だった。だが、その思いを、一瞬にして祖母のお萩が上回った。そして残りの3分の2を口に入れて1個目を完食した。
餡というのは、こんなに美味しいものだったのか。
心の中で感心した。
そして2個目を口に運ぶ。そこにはもう、苦手意識は無くなっていた。
家内は、言った。
ほら。苦手なんて、なくなったでしょ。
そして祖母も満面の笑顔で言った。
おいしいけ?
私はその日、5個のお萩を完食したのだった。
祖母は、5年前の年末に亡くなった。数え年で90歳を超えていたから、大往生だった。癌だった。闘病は、5、6年ほどだっただろうか。半年ほど前からだんだんに弱ってきて、それでも身の回りの世話をしてもらうことは、長期間あったわけではない。
田舎に嫁ぎ、義父がお腹の中にいるときに祖父が戦死している。親ひとり子ひとりで、ずいぶんと苦労したと聞いた。ほとんど泣き言を言わない、戦時を生き抜いた気丈な祖母だったが、帰省から我が家が帰宅する段になると、いつも泣いていた記憶がある。
亡くなる直前、年末に、もう危ないということで私と家内は長女と長男を連れて祖母を見舞った。そのとき祖母は、私の手を強く握り、目を瞑って言った。
ぬくいなあ....。
その晩、まだ存命だった義父と相談し、特別な許可を担当医にもらって祖母を自宅に1日だけ連れて帰った。車に乗せていけば、長男と私が祖母を抱き抱えて、なんとかベッドに寝かせることができるだろうと算段したのだった。
祖母は、帰省してきた我が家と家内の妹夫婦一家で特段に賑やかになった家のベッドで、静かに横になっていた。
祖母は、年明け間も無く静かに息を引き取った。
家内の母は、いつも言っていた。
あの味だけは、引き継げなかったんや。
それほど、祖母のお萩の味は、私たちにとって特別な味だった。今日、近くのスーパーで、お萩を購入し、家内と食した。
今でもお萩を見ると思い出すのである。祖母のお萩を。もう、その味は、記憶の中にしか無いのだが。