疎通
意思疎通という言葉がある。家内は、少し、言葉足らずのところがある。会話の時、それが原因で、意思疎通がうまくいかないことが、よく、あるのだ。
私は、長年の経験で、自動的に家内の言わんとすることを、脳内翻訳したり、先を読んだり、補足したり、随分と鍛えられた。
子供たちに、およそ通用しないような会話をして、子供たちが戸惑っているときに、助け船を出すと、家内は、こういう。
そうそう、それ、それ。
心の中の、リトルkojuroが、呟いた。
それ、それ、じゃ、ないんだよな。
そして、助け船を出して欲しいときは、わたしに、呼びかける。
kojixa(コジクサ)(注1)、翻訳して。
そして私は、なんなく、翻訳するのである。
先日、家内が長女とのLINEをやりとりしていて、怪訝な顔をしていた。
長女は、LINEで家内の残したメモについての質問を、投げかけてきていた。
「どにちたま」って、何?
私は、家内のLINEの文面をのぞき込むこともなく、多分、土曜の曜を、日に玉と書いたからだろう。
そう伝えた。
すると、家内は、理解したようで、大きくうなずき、声を上げた。
あー、そういうこと?
だが、腑に落ちては、いなかった。
略して、曜日の曜を、日に玉と、書くよね?
そう、私に聞いてきた。
私は、家内に言った。
今の若者には、通用しないのだよ。
思えば、母が、よくむかし、この俗字を使っていた。
家内も、よく、この俗字を使う。
心の中の、リトルkojuroが、呟いた。
きつい、母あり。
そして、きつい、嫁あり。
家内は、いぶかしがりながら、ベッドに横になり、足を出してきたので、私は、反射的に、マッサージを始めた。
心の中の、リトルkojuroが、少し悲しげに呟いた。
もう、パブロフの、犬だな。
我が家は、家内が上機嫌ならば、明るくて平和な家である。
だから、
これで、いいのだ。
(注1) 私を、Alexaになぞらえた、家内独特の、私の呼び名。
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