校長室
※今日の記事は、昨日の記事の続きです。今日の記事だけでも内容は完結していますが、最後に昨日の記事へのリンクを貼り付けておきますので、ご興味とお時間のある方がいらっしゃったら、遡って読んでいただければ嬉しいです。
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高2の長女の学年末試験の追試の追試が終わり、結果は不合格となった。長女は、必死とまではいかなかったが、それなりに、今までないくらいに頑張った。でも、その程度では、壁は乗り越えられなかったのだ。その結果を聞いて、いよいよ学校からさらなる深刻な呼び出しが来ることを、私は、覚悟した。
留年になったときのことを考えて、大検について調べたり、さらに卒業できないことを見越して転校を考えたりした。実際に資料を取り寄せたり、次女の学校の教頭に直接相談したりした。それでも何とか留年を免れないかと神に祈る思いだった。
待つこと一週間。とうとうその日は訪れた。ある日の昼休み、スマホが震えた。出ると担任だった。
明日、10:20に学校に来てください。当校の校長に会って頂くことになります。
そうか。とうとう最後通告か...。私は、さらに本気で覚悟をした。家内にすぐにメールを打ち、何が起こっても、一丸となって冷静に対処していこう。そう、一文だけ、入れた。
翌日になり、学校に行くと、担任が待ち受けていた。挨拶だけ交わし、そして校長室に案内される。
お嬢さんは既に校長室前にいると思います。では、ご案内します。
校長室の前に案内されると、10人ほどの生徒の集まりに出くわした。
なんだ、結構最後通告の集団は、いるんだな。
少し、心の中でほっとした。と同時に、長女を見つけた。そして長女を手招きして、角の柱のところで待つことにした。しかし、不思議なことに、私と同様に呼び出されたであろう父兄の姿が見つからない。そして、その生徒の集団は、最後通告だというのに妙に明るく、賑やかににこやかに会話をしている。随分な余裕だな。そう思いつつ、かなりの時間、待った。が、なかなか校長室の扉が開かない。もう、11時になろうとしている。
こういう時、待たされるのも、嫌なものだ。
それからほどなく、教頭が現れた。入学式の時に見た顔だからひと目でわかった。そして、口を開いた。
お待ち頂いてすみません。校長は別の会議が長引いており、いましばらくお待ちください。それと、予定がダブルブッキングしており、来年度の特待生の指名式を先にやらせて頂きます。
な、なに?じゃ、この浮かれた生徒たちは、来年度の特待生か。どうりで笑っているわけだ。で、そっちを優先する?散々待たせた挙句に?
私は、まともな社会人である。これは、心の中の声である。ただ、心の中のリトル私は、完全に悪態をついていた。
やがて特待生たちが引けた廊下には、男子生徒が3人と、その親御さんであろう、母親が3人、恥ずかしそうにしているのが確認できた。
それから10分ほど待った。すると、どやどやと特待生たちが校長室から出てきて、綺麗に整列して校長の前で、
ありがとうございました!
と挨拶し、前座の儀式は終わった。
では、中に入ってください。
校長が私たちに中に入るように促した。
私たちが校長室に入ると、テーブルに導かれ、一応、
お座りください。
と、促された。そしておもむろに切り出した。
えー。ここにお集まり頂いた生徒のみなさんは、学年末考査の追試の追試に合格できなかった生徒さんで、つまり、留年ということになります。本来は。
なに...?本来は...?ならば、可能性はあるのか?
この入り方で、一気に私は気持ちが前のめりになってきた。それなりの進学校において、進学実績にならない成績の悪い生徒はお荷物である。しかし同時に、私立学校においては生徒とその親は学校にとっては顧客であろう。その顧客を前にして、この扱い、ちょっと、なかろう。
校長の話を聞いていると、本来は留年なのだが、それぞれの生徒の担任が自分に救済の嘆願をしてきた。それに免じて最後のチャンスをあげる。この場で反省の弁を述べてそのチャンスを生かせば、留年は、ひょっとしたら免れるかもしれない。がんばれ。そういう主旨だった。
ここまで聞くと、俄然、私は強気になってきた。
よしよし。娘よ、人生をかけた反省の弁を述べよ。そして、卒業への希望の階段を登れ!
心の中で、長女へのエールを送りつつ、表面上は少し俯き加減に、校長の訓示に時折り頷きながら座っていた。
校長が言った。
では、お父さんから。
はい? わ、私ですか?
あまりの校長の暴挙に、私は言葉を失うどころか心の声がそのまま外に飛び出てしまった。
校長は、親子で反省の弁を述べさせようとしている。しかも、親から。なんなんだろうか、このシチュエーションは。そう思いながら、一瞬で気持ちをキリッと切り替えた。こういう時、会社の会議で理不尽に詰められる経験が生きてくる。起立して足を揃え、背筋を伸ばして、とうとうと述べ立てた。育て方が間違っていたこと。親としての管理が不行き届きで学校と担任と校長に迷惑をかけることになってしまったこと。親子共々心を入れ替えて勉学に真摯に取り組み、二度とこのような局面に陥らないように精進します。そう言い終わるや否や、長女と完全シンクロで腰を90度に曲げてピシッと、7秒間、礼をした。
この時、未来への扉が、ギィィッと、開いた音がしたような気がした。
その後、長女は、カリキュラムとしては春休みに入ったが、3日間連続で丸一日登校した。そして運命の3日目の夜、帰宅した長女から、進級の知らせと通信簿を受け取った。長女に、この3日間は試練だったかと聞いた。すると、
うん。確かにこれは試練だった。数学の教科書を、ただひたすらノートに書き写した。
え?全部?
うん。全部。
3日間で終わらなかったら、どうなったの?
そりゃ、留年でしょ。
できたの?
うん。ギリギリ、セーフ。
この長女の母校には、いろいろな思いがある。教育とは何かという疑問も残った。そして、顧客と企業のひとつとしての私立学校の関係。これも、いろいろと考えさせられることがあった。ただ、終わりよければすべて良し。私は、そう思うことにした。
その後、長女は、滑り止めと思っていた大学に現役で合格し、留年することもなく4年で卒業。この春、就職をして、今はGに怯えながらも一人暮らしをして社会人として生活をしている。
長女のこの時のことを思い出しながら、お前はもう少しがんばれよ、などと思ったりする。そして同時に、子は親に似る。とも思い至った。私は、両親にどれだけの親不孝をしてきたかと自らを振り返れば、本当に、子を持って知る親の恩という諺を、身に沁みて感じている。
※G=いわゆる、ゴキブリのこと。
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