茶畑・神子田(宮古街道)の底力
先日新たに気づいたこと。
私の自宅の近くには、十六羅漢という「羅漢」像があり、その周辺は「茶畑」と呼ばれています。この地名の由来は、江戸時代に茶畑があったことから来ているようで、羅漢像がある、らかん児童公園には、それを記念して茶が植えられています。
ある日、ふと思い立って、十六羅漢の向こうの茶畑や神子田のあたりを散歩してみたのですが、そこには想像を遥かに超えた街並みが広がっていました…。
下の写真は、旧宮古街道沿いにある商家の1つ。これだけではなく、この通りにはこのような立派な商家やお屋敷がゴロゴロしています。その中には、比較的新しい建物に建て替わったものや、残念ながら閉業してしまったものもありますが、現役の建物もたくさんあります。現在の宮古までの道は、道幅が広く、別なルートを通る国道106号線となっており、かつての宮古街道の面影はあまり残っていませんが、この辺りは現在の106号線から離れた昔の道が残っているため、往年の雰囲気を味わうことができます。
また、宮古街道沿いに「上小路」の町名由来が掲示されていました。下小路中学校のある北側の「下小路」に対しての南側の「上小路」で、宮古街道の茶畑から中野の周辺が「上小路」という理解で良いのでしょうか。
河南中学校の近くに大きな煙突があったので、不思議に思って近づいたら菊の湯という銭湯でした。銭湯はだいぶ前に休業し、コインランドリーだけ営業が続けられていたように見えましたが、残念ながらコインランドリーの方もついこの前(2024年1月)に休業されたようです。私が高校生くらいのときまではあちこちに銭湯がありましたが、今煙突が残っているところはかなり珍しいと思います。
この近くには、盛岡市民の台所とも言われ、観光スポットとしても人気の神子田の朝市があります。
さらに、この辺りは、1970年代~1980年代に建てられたと思われるアパートも多い地域です。個人のお宅なので、写真は少し控えますが、古くからの営みの息遣いを感じる地域でした。
なお、十六羅漢の少し盛岡八幡宮に近い方には、酒造りの神様である松尾神社があります。あさ開や旧岩手川など、酒蔵が多いからだと思います。この辺りの地名も「松尾町」ですね。
私は、盛岡生活は累計で40年近くになりますが、これまではどちらかというと北の新興住宅地に住んでいたので、河南地区をじっくり歩くことはありませんでした。また、十六羅漢までは散歩で良く行っていたのですが、その奥にこんな世界が広がっていたとは想像だにしていませんでした。読者の皆様も、盛岡八幡宮などを訪れる時にでも、ぜひ足を伸ばしてみてください。
なお、このような街並みを、「古臭い」と感じるか、私のように「人の暮らしの息遣いが感じられて素晴らしい」と感じるかは、自由だと思います。ただ、こういう暮らしの痕跡は、相当強く意識しないと簡単になくなってしまいます。街のシンボルとして親しまれてきた菊の司の建物も、向いの平興商店も、ずっとそこにあったのに、なくなるときはあっという間でした。紺屋町のマンション建設計画について考えるときにも、このことだけは忘れてはいけないような気がします。
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