仲間がいない山を登る

「岳」 18巻を読みました。
このタイミングで読めてよかったと思います。

制作者として、そして、企画側の人間として、他のコンテンツのことをみたとかみてないとか、良かったとか良くなかったとか、そういうことに触れることは極力避けているのですが、これについてはあまりにも響くものがあり、そして、一つ語りたいシーンがありました。

それは、主人公である三歩さんが山を登る信念、理由が語られた部分です。

《誰が見たって絶対登れないってわかる、すげえ山があって》
《その山の前に登る気満々で一人で立ってんの》
(中略)(←気になったら漫画買って読んでみてね♡)
《ま、そんな感じ》
(引用)

「そうだよな」
って思いました。

そうなんだよな。って思いました。

周りを見渡しても、「こういうアニメ」を「こういう体制」で作っている所なんてどこにもなくて、スタンスとして近しい個人はだいたい漫画を描いていたり小説を描いていたりして、真情的には近いけど彼らはそれぞれ登っている山が違うわけです。なので切磋琢磨する相手もいない。
人と横並びで同じ条件で競争したくないだとか、まだ未開拓のブルーオーシャンを目指したいとか、そういう理由もあったかもしれないけど、ともかく僕のジャンルで同じことをするライバルみたいな存在はいないんです。
まあ、その誰もいなさっぷりが心地よかったりはするんですけどね。

でも、だからこそ、無謀だとか立場がわかっていないだとか、冷静なアドバイスをいただくことは時折あって、大人になっていくにつれ、そして社会の常識を内面化させていくにつれ「なんでこんなことやってるんだ…」と自分の行動に対して冷めた目でみることが多くなり、惰性でやっている感じが多くなってきました。
辛うじて筆を折らないでいるのは、単に自分の夢のために巻き添えにした人間がかなり多いという事で、その責任感をどうこうするべく、きちんと終わらせよう、着地させなくてはいけない、という意味で行動している側面が強かった感じです。

なので、なんでやっていたかをよく忘れがちだったんですけど。
この漫画を読んで思い出しました。
それ、それだよそれ。それ。

「ま、そんな感じ」

三歩さんってたぶん作中では孤高の人なんですよね。あまりにもすごすぎて誰もついてこれない。同じ山にいるけど、彼と同じ目線で山に向き合える人は周りに誰もいない。フィクションライクなヒーローである反面、ライバルもいない。約束された孤独。そんな人物像なんだと思います。
そんな彼は、彼の認識ではそこそこにやってれば充分活躍できるし、努力する必要ももうないのかもしれない。でも、なぜか一生懸命で、なぜそこまでして頑張れるのか?という問いについて答えた、彼の真摯な回答は、そうだったのです。

ああ、そうか。そうなんだ。そして、
そうだった……。

漫画ってすごいですね。
そうだ、うん……。

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