倫理と良心と法令と
自分の中で、倫理に反するのは厭わないが、良心に反した行動は取りたくない……的な感覚がある。
自分が倫理を守るのは「良心にも沿う」場合のみであり、倫理的にOKでも良心に反することはやらないし、その逆で倫理に反しても良心に沿うならやる。そういう意味で、倫理は自分にとって行動基準としての価値が低い。
なんというか、倫理なんて所詮他人が考えた規範じゃん?という。
(あまり気にかけないので、そもそも倫理自体への解像度が低いかもしれない)
その点、良心は自己に由来する規範意識である。自分の行動については自分で考え、自分で判断する・自分で決めるという意味で、倫理よりも優先している。
まあ一般的な倫理が自分の良心の在り方に影響を与えている可能性はあるし、倫理に価値がないとまでは言わない。倫理を踏まえたり踏まえなかったりした上で、良心に基づき行動するということ。
他人が考えた規範の最たる例として、法令がある。(自分を含む国民が選んだ代表により定められたものではあるが、さすがにそれらを「自分が考えた」ものとするには自分の意向が反映されていなさすぎるし、そもそも多くの法令は認識すらできておらず事実として自分が考えたものではない)
他者由来の規範という点では倫理と同様だが、法令は手続的な正統性があるし、場合によっては罰則もある。総じて倫理よりも重みのある、上位の規範という認識。
では自分の中で良心よりも法令に重きを置いているかというと、別にそんなことはない。自分は行動の基準として良心を最上位に……つまり倫理や法令よりも良心を上位に置いている。
これだけだとただの犯罪者(広義)みたいになってしまいそうなので一応補足すると、倫理はともかく法令の許容範囲を超えることは基本的にあまりないとは思う。自分の良心が法令と重なることは当然ある、というか概ね重なっている。自分は基本的に人を殺さないし盗みもしない。
主に「合法だけどやらないこと」を良心で判断するということにはなるが、「合法」の範囲はかなり広い。「合法だからOK」は他者に適用するにはよい基準と思うが、自分自身に適用するには少々緩い。法令が許すからといって良心のストッパーを外す人、というのもそれはそれでヤバい人ではないか。
法令ではOKだから自分の良心に反するけどやっちゃえ……とはならないし、逆に、自分の良心に基づく行動であっても法令違反である場合は絶対にやらない……とまでは言い切れない。犯罪の自白や予告みたいになってしまいそうなので具体例は控えるが。
※より厳密には、さらにその上で「やりたいかやりたくないか」の判断がある。
自身の内面的な規範として法令を最上位に置くというのは、立法府や司法(場合によっては行政も)を信用しすぎ・委ねすぎだと思う。
新たな事象に既存の法令が追いついていない場合、違法化されるまでどんな悪事にも躊躇いがないorそもそも悪事だと認識しないのだろうか。
あるいは、どんな悪法ができたとしても、悪法も法だといって自身の中で最上位に置くのだろうか。成立した悪法が一旦そのとおり運用されてしまうのは仕方ないにしても、その悪法をそのまま内面化するのはマズくないか。
法令を最上位に置くというのはそういうことだ。
自分の場合、倫理と同様に、法令を踏まえたり踏まえなかったりした上で、良心に基づき行動する。他人ではなく自分自身の行動基準としては、良心こそが最上位にふさわしいと考える。
法令よりも良心を上位に置く自分は自分を信用しすぎなわけだが、そう、自分は自分を信用している。信用しているというのもあるし、自分は「自分」としてしか存在できない以上「自分」にだけは背きたくないというのもある。
ただし、良心は自分基準なため歯止めがかかりづらいという割と大きめの欠陥があり、自分の中で安易にラインを後退させないよう相当注意が必要とは思っている。
以上の内容は"自分の"「行動基準」についてだ。
自分の良心は他人に適用されるものではないし、行動の責任として他人は自分に法令などを適用してくることも承知している。そしてそれでいい。
訴求力というか、他人に適用する・働きかける際に持ち出す規範としてはほぼ法令一択だろう。良心はもちろん、倫理も手続的な正統性などから他人への適用は微妙だと思う。
自分への適用:良心>法令>倫理
他人への適用:法令>>倫理>>>良心
自分の場合、まとめるとこのようになる。
良心はあくまで良心。良くも悪くも自分だけのものだ。