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老齢年金をなくしたい

老齢年金をなくしたい。
これは「現役世代の負担が〜」「負担と受益の世代間格差が〜」「社会保障の持続可能性が〜」「平均寿命の違いによる男女格差が〜」というのもあるのだが、それ抜きでもそう思う。

私たちの人生には、自分や家族の加齢、障害、死亡など、さまざまな要因で、自立した生活が困難になるリスクがあります。こうした生活上のリスクは、予測することができないため、個人だけで備えるには限界があります。そこで、これらに備えるための仕組みが、公的年金制度です。公的年金制度は、あらかじめ保険料を納めることで、必要なときに給付を受けることができる社会保険です。

教えて!公的年金制度 なぜ公的年金は必要なの?
(厚生労働省)

遺族年金や障害年金については、不測の事態に対してみんなで備えていこうということで一応理念が理解できはする。
しかしながら、事故や病気とならともかく、「加齢」は急に・不意に・予想外に訪れるものではなく、全くもって「予測することができない」リスクではない。

早死にしない限りいずれ必ず訪れる老後、不足の事態がなかった場合の未来に備えないのはもはや本人の選択、責任だろう。必ずしも備える必要はないが、備えないなら備えないなりの人生を歩めばいい。いざという時のセーフティネットとして生活保護だってある。

「豊かな老後」のためならわざわざ現役世代から強制的にお金を取り上げて国が保障する道理がないし、「最低限の老後」のためなら生活保護でいい。

(老齢年金を廃止して生活保護で対応した場合に現役世代の負担がより重くなるというのなら別だが、困窮世帯にのみ支給される生活保護の必要額が、困窮していない者にも支払われる老齢年金よりも多いはずがない。
生活保護自体が増えるにせよ、社会保障費全体では当然減る。だから増税となってもこれまでの厚生年金保険料などと比べると現役世代の負担は小さくなるはず。)

老齢年金については上記のような理念的な反感がどうしてもある。
老後に備えるかどうか、備える場合どのように備えるかは本人に任せるべきで、任意のサービスならともかく国が強制力をもって決まった方法で備えさせるのはおかしいと思う。

掛金返してほしい。自分で運用して自分で取り崩すから。備えたければ自分で自分のやり方で備えるし、備えたくなければ備えない。
「今」と「将来」のバランスは自分で取りたい。来るかも分からない老後のためにここにある大切な「今」を奪われたくない。
(現在は賦課方式なので表面上違うが、受給資格などを踏まえると実質的にほぼ同じことだろう。何なら他人の老後のために自分の「今」を奪われている状態という……。)

積立方式かつ任意にして自分は抜けるのでもいいが、インフレ等の経済変動への対応を考慮するとなかなか積立方式には戻しづらいのだろう。
だから自分は、いっそのこと老齢年金自体をなくしてしまいたい。ある程度の制度改革で妥協するのが現実的かもしれないが、本音としては制度そのものをなくしたい。

これから払わなくていいなら今までの掛金が全く返ってこなくてもいいし、将来的な給付もなしにしてくれていい。
その程度の損なら許容範囲となるくらい、自分にとって「今」と「将来」のリソース配分の裁量権というのは重要なものである。

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