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「人の心」 って…何?
この世には利己的だったり所謂サイコパス的な人間やキャラクターが往々にして存在する。
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そんな人物に対してよく言われる「人の心がない」という謳い文句。
では問おう。
「人の心」とはいったい何を意味しているのか?
一般的な定義を知るためにまず、意味を検索してみた。
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どうだろうか?
これで「人の心」のなんたるかを理解できる人など存在するだろうか?
否、理解するにはあまりに抽象的過ぎる。理解できる者などいないだろう。
それもそのはず。この説明は2015年に実施した「あなたの言葉を辞書に載せよう。2015」キャンペーンでの「心」への投稿から選ばれた優秀作品だそうだ。つまりどこの誰かもわからない凡人が各々の個人的な解釈を展開しているだけなのだ。他の作品も見たが、俺に言わせてみればどれも薄っぺらい。あまりに薄っぺらい。
心とは
そもそも、「心」とはなんなのか?
光は「目」、音は「耳」、匂いは「鼻」によって感じ取ることができる。
じゃあ、心はどこで感じ取っているというのか?
「目に見えない」などとぼやかさずに説明してほしい。
目に見ないのなら耳で感じることができるのか?それとも匂いで?
少なくとも俺は「心の音」も「心の匂い」も感じたことは無い。
「人間には不可欠なもの」とは?これも説明して欲しい。
これはいったいなにを指しているのだろう。水?食料?それとも睡眠?
どれも人間に限らず不可欠に思えるが…。
ああ、目には見えないんだったな。じゃあ…欲望?
欲望は人間の原動力だ。だが、これも人間に限った話ではない。
利他行動
ならば上記の投稿者や多くの人類の気持ちを汲んでみるとしよう。
人間だけがしそうなこととしては「利他的な行動」が思い浮かぶ。
だが、残念ながらそれすらも人間だけの特権ではないのだ。
人間は利己的な少数派を利他的な多数派によって排除して種族全体でより利他的な進化を遂げたという定説がある。
しかし、ダーウィンが提唱した「自然淘汰」が正しいならば、利他的な個体に比べて生存や繁殖に有利な利己的な個体のみが生き残り利他的な個体は淘汰されるはず。
にも関わらず、多くの動物には己を犠牲にしてまで他者の利益のために行われる利他行動が見られる。ダーウィンの進化論における矛盾点。彼自身もそれを理解しながらも最後まで解決できなかった問題が動物の利他行動だ。
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表裏一体
社会性昆虫という生物がいる。彼女らは基本的にメスしかおらず、自分たちでは子を残せないにも関わらず、利己的な女王のための利他行動を惜しまない。
だがこれは決して女王に忠誠を誓っているわけでも、群れ全体に奉仕しているわけでもない。遺伝子の関係上、自分で子供を作るより女王に産んでもらった方が自分の遺伝子が残りやすいからだ。
そうした方が自分にとって“有利”だからこその行動なのだ。
人間という利他的な存在から見れば、同じように利他的な働き蜂は健気な善人に見える一方、究極的に利己的な存在である女王は無慈悲なサイコパスに見えるだろう。だが、利己的な女王も利他的な働き蜂も同じ「ミツバチ」であることに変わりはない。
どちらもただ、自分にとって有利な選択肢を選んでいるに過ぎないのだ。
そして、これは人間にも同様のことが言える。
かつて獣とは違った特別な存在であった人間は
ダーウィンの「種の起源」によって地を這う獣と同列の存在に引きずり降ろされた。(まあ俺はそんな書物を読むまでもなく理解していたが)
なのに、まだ人間というやつは自分自身を特別な存在だと思いたがる。
だから「人の心」などというありもしない幻想に縋り付いてしまうのだ。
人の中に「人特有の心」があると思っているならそれは単なる願望でしかない。
「世のため人のため」だの「社会貢献」だの…。
こういう言葉を見聞きするたび反吐が出る。
断言しよう。「そんな物はない」と。
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利他的な人が居て、利己的な人も居る。
だが、どちらも同じ「人」である。
利己行動と利他行動は表裏一体なのだ。
プログラム
「心」と呼ばれる目に見えず、耳でも鼻でも感じられないもの…。
だが確かに自分の中で存在するもの―――
その正体は「遺伝子」だ。「プログラム」と言ってもいい。
働き蜂が女王に尽くすのも。
人や動物が時に利己的に振る舞うのも。
人間が「人の心」で行っていると思い込んでいる利他的な行動も。
すべて自分にとってそれが遺伝子を残すのに有利なため。
所詮、人も動物も多少複雑化しただけの遺伝子の入れ物に過ぎないのだ。
生物は人間も含め遺伝子の奴隷でしかないのだ。
「命は尊い」などと言うがそれはただの感情。全く持って真理とは程遠い。
命は尊いと主張する人だって家に蚊が入ってくれば迷わず殺すし、毎日何かしらの動物や植物を殺して喰らって生きている。
ペットを大事に飼っている人からすればその人にとってはそのペットの命は尊いが全く知らない野生の獣からしたら単なる餌か外敵でしかない。
言い換えるなら、「自分や自分にとって有利な“命は尊い”」
欲も、心も、感情も、愛も、思考も。すべては遺伝子の幻想だ。
だが、悲しいことはなにもない。
それでも、すべて本物なのだ。