なぜあの人は思い通りにならないのか。-人間関係を少し楽にしよう-
はじめに
どうも、僕です。
今回は人との関わりの中で、相手が思い通りになってくれない理由と、それに対してどんなスタンスで向き合うべきなのかについて書いていきたいと思います。
今まで生きていて、誰しも他人に対して
失望し、残念な気持ちになったり、怒ったり
ということを経験したことがあると思う。
第一回目となる今回は、
そういった人が思い通りになってくれない理由を解説することで
読んでくれているあなたが苛立ちや怒りを超え、また他人に失望しないままでいられる考え方を提案したいと思う。
1.なぜあの人は思い通りにならないのか
まず、他人が思い通りにならない理由をサッと説明し、具体例を1つ交えてイメージを深めてもらいたい。
それは、「本来の他人」が「あなたが知っている他人」や「あなたが求めている他人像」を下回ったり外れたりするからである。
よく分からない表現を多々使っているので、わかりやすくする例を見ていこう。
1-例.もしメロスが走らなかったら
走れ!メロスを覚えているだろうか。
あの小説でメロスが走らなかった場合、そのまま処刑されるセリヌンティウスはこのようなことを思うはずだ。
「メロス、私は君が義理を守らない人間だとは思わなかった。私は友に裏切られ、ほくそ笑む王の前で1人死んでゆくのだ。」
と。(様々な考察があるのは承知の上だが、本文ではこう思うであろうということを共通認識としていただきたい。)
つまり、この例は
あなた(例の上ではセリヌンティウス)が知っている他人(例の上ではメロス)や求めている他人(同メロス)と本来の他人(同メロス)が違ったということになる。
あなたのこれまでの人生にも、
母と喧嘩したとき、父は味方をしてくれると思っていたが母に味方されたことなど、思い当たる節があるのではないかと思う。
1-補足.初対面の人やよく知らない人も思い通りにならないけど…
ちなみに、初対面で「知っている他人」が形成されていないケースの場合、
「知っている他人」=「普通の人」となっているはずだ。
例えば電車でマナーが悪い人に対して苛立ったりするのは、「普通の人」はそんなことをしないと思っているからなのである。
2.あなたが知っている他人と求めている他人とは
ここまで読んだくださった方は、なんとなく「知っている他人」「求めている他人」「本来の他人」という概念をわかってくれたことと思う。
ここからは、知っている他人や求めている他人がどのように生まれるかを説明することで、最終章に書く「理解し得ない他人との向き合い方」を理解してもらえるようにしたいと思う。
まず、「知っている他人」の生まれ方についてだ。
「知っている他人」とはあなたがその人について見てきたことから推測される他人のことである。
そして、「求めている他人」とは、あなたが「知っている他人」をもとにその人について見ていない、まだ知らない部分を推測することで生まれる。
分かりづらかったらこちらの図を確認しながら読み直してみてほしい。
つまりは「求めている他人」とはあなたが「知っている他人」の部分からあなたが作り出した架空のものだということになる。
2-例.あなたの知らない「本来の後輩A」
こんなケースを考えてみよう。
あなたに物凄く礼儀正しい後輩Aがいたとする。
その後輩Aはあなたに会うと常に気持ちの良い挨拶をし、言うことには素直に従い、後輩としての謙虚な姿勢を忘れない人だ。
あなたはその人に対して当然「礼儀正しい後輩だ」という印象を抱く。
これが、「あなたが知っている他人(後輩A)」だ。
そして、あなたから見た後輩Aは礼儀正しいので
きっと彼の友人や家族にも丁寧な姿勢で接しているものだろうと無意識に思っている。
これが「求めている他人(後輩A)」だ。
つまりあなたは、自分の「知っている他人(先輩に礼儀正しい後輩A)」をもとに推測して「求めている他人(友人や家族にも丁寧な後輩A)」を作り出しているということだ。
しかし、本来の後輩Aは目上の人に対しては目をつけられないように丁寧に接しているだけで対等以上に接することができる相手には上から目線で接するというのが「本来の後輩A」だという可能性もある、ということだ。
2-結び
結論を一言で言うと、ここではあなたが「求めている他人」は、あなたが「知っている他人」をもとに作り上げるもので、それは得てして「本来の他人」とは違っているということだ。
付け加えておくと、「本来の他人」はその人の見聞きしたものや経験、それについて感じたことによって形成されるので、その全てを知っているわけではないあなたが「本来の他人」を正確に理解することは絶対にできないと思っておいたほうがいい。
3.他人が思い通りにならないという"常"にどう向き合うか
それでは、最後にそんな他人が思い通りにならないことが当たり前であり避けようがない世の中にどう向き合えば良いのかを書きたいと思う。
復習すると、「本来の他人」と「知っている他人」、「求めている他人」の間には絶対にギャップがある。
そのため、人が必ず思い通りになることはない。
「絶対にない」と言うと悪魔の証明チックになってしまうため一部の例外はあるかもしれないということにしておくが、その例外に自分が当てはまると信じないほうがベターだ。
そこで、そのような与えられた条件の中での向き合い方をこれから書く。
先の段落に書いた通り、「本来の他人」はあなたの知らないその人の人生によって形成される。
そのため、①あなたの知らないその人の人生の存在を認めること②「求めている他人」を極力作らないことが正しい向き合い方であろう。
3-例①.思い通りにならないあなたの親と子
まず、①あなたの知らないその人の人生の存在を認めること の例を挙げよう。
例えば、あなたの父親があなたのやりたいことをひたすらに認めず、
「公務員になれ」としつこく言ってきているとする。
その時、もちろん怒りや納得できない感情、呆れなどの感情が渦巻くだろうが、果たしてこの父に悪意はあるのだろうか。
あなたの捉え方と違い、あなたの父はあなたの将来を考えた上で言っていたのかもしれない。
彼があなたの年齢のときには公務員こそが絶対的に安定していて最も良い人生を送れる仕事だったのかもしれない。
そして、彼の時代は安定した生活を最優先にすることが当たり前で、安定以上に大事にしたいものがある人がいることを知らず、知らないどころかその発想もないのかもしれない。
あるいはもし将来あなたの子供が、「私はVR上の恋人と結婚する!」と言ったとしよう。
彼もしくは彼女の時代は、その選択が至って合理的で当たり前なのかもしれない。
3-例②.人は変わる、変われる、変わってしまう
次に、②「求めている他人」を極力作らないことの例を挙げよう。
受け手の印象を考えずストレートに言えば、人に期待しないようにしようということになる。
ここでは僕だったらどのように考えるか、ということを僭越ながら紹介する。
例えば、僕が慕っている上司が
「お前が1人前になるまでここ辞めないでお前を育てるよ」
と言ってくれたとする。
もちろんこの言葉を受けて喜んでいいし、この人が嘘をついているなどとは思わなくていい。
しかし、彼は必ずしもこの気持ちを永遠に持ち続けてくれるわけではないということだ。
もしかしたら1年後にヘッドハンターから破格の条件でのオファーが来て気が変わるかもしれないし、昔の友人から心躍る起業の誘いが来るかもしれない。
そしてそれは彼の人生なので仕方ないし、彼は何も悪くない。
この一文だけ話は逸れるが、人は必ずしも一貫性のあるものではないしそれが悪いわけでもないということについてもまた書きたいと思う。
このような他人の受け入れ方をすることで、もし実際に上記の嬉しい言葉をかけてもらった後に違った決断をされることになってもお互いにとって良い別れになるはずだ。
3-結び
上記で、思い通りにならないあなたの父とあなたの子の例を紹介した。
大切なのは彼らのバックグラウンドについての「~かもしれない」という想像が合っているか間違っているかということではない。
そのようなあなたの知らないバックグラウンドの存在を認めることこそが大切なのだ。
そうすることで、その人と分かり合うことを諦めることもあるだろう。
逆にその人と分かり合うための対話をすることもあるだろう。
いずれにせよ、あなたの自身の意志に則った前向きな選択であるはずだ。
また、「求めている他人」を大きくせずにありのまま受け入れるようにすれば、不必要な失望やネガティブな悲しみからは解放されるはずだ。
ちなみに僕はこれがある程度できるようになるまで、丸1年くらいかかった。
しかし、(おこがましいが)僕という巨人の肩に乗ってもらうことで少しは楽にできるようになるのではないかと思う。
これができるようになってくれば人との関わりは格段に変わってくるので、良ければ人が思い通りにならないことがあったときには思い出してみて欲しい。