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自己紹介とマイストーリー

はじめまして♪
近森 憲彰って誰やねん!?ってことで(笑)、さっそく自己紹介をさせていただきます!


今のぼくの最優先事項

ぼくのパーパスは「日本の経済成長のために、次の時代を創る」、ビジョンは「『Creativity x Technology』の力で、感性に響き渡る体験を届ける」です。
このパーパスとビジョンから降りてくる次の3つのミッションを実現するために行動しています。
①感性を刺激する『非日常体験』の創造
②データドリブン経営、数理マーケティング、AI活用
③キャリア支援

パーパス/ビジョン/ミッション/バリュー

「①感性を刺激する『非日常体験』の創造」について

また、コモディティ化やニーズの細分化、およびAI活用(人の能力の代替)が進む社会において、人が求める価値と人に求められる仕事に共通するものは、人の感性を刺激する『非日常体験』の創造だと考えています。

そして、ブランド戦略(コンセプト設計)で最も重視しているのは、一過性の流行に乗るのではなく、人の感性や本能を追求したものであること、時間の経過とともに成熟され、人や社会に深く根付いていくもの(不変で普遍の価値)である品質や信用です。


マイストーリー

幼少期〜小学校時代

高知県高知市で生まれました。
ぼくの父親は青果店を営んでいます。

小学校が長期休暇のときは、よく青果市場に連れて行ってもらっていました。仲買人が集まってお互いの商売について語り合っている場が、なんだかとても心地よかったのを今でも覚えています。
(ちなみに実家のねこ(ななちゃん♀)は、青果市場のアイドルでした(笑))

この頃から、仲買人・商売人が集まる市場や商店街のコミュニティは人の繋がりを大事にしていて心が落ち着くなぁという、今の考えや価値観に繋がってくるようなことを何となく感じていました。
当時の気持ちを言語化すると、商売人が強いのは街やコミュニティに根ざし人との繋がりをベースに創る商売で、逆に大手が強いのは商品・サービスの流通力やスペック(機能性)を中心に展開するビジネスということだと考えています。

それから、小学5年生の終わりになった頃、急に中学受験したい!という思いが強く湧いてきました。
理由はとても単純で、通っていた小学校の隣に公立中学校があり、荒れ具合がとてもよく分かっていましたので、「隣の中学校には絶対行きたくない!」というネガティブな気持ちからです(笑)
あとは、当時仲の良かった友だちが受験するということも大きな要因でした。


中学〜高校時代

受験をした土佐中学校に無事合格し、高校はエスカレーター式で進学。
当時よく一緒に過ごしていた友だちのほとんどは、親御さんの単身赴任などで県外から来たクラスメイトでした。おそらく、県外に視野が向いている人と価値観が合ったのだと思います。

それから、いよいよ大学の受験勉強をスタートする高校2年の終わり。志望校を考えていました。
親からは学費の面で「国公立大学じゃないとダメ!」と言われており、国公立大学という選択肢は決まっていたのですが、とはいえ全国にいくらでもある。
どうやって決めようか、、考えて行き着いた結論は、
【田舎を出て都会に行きたい! → 夜景の綺麗さで決めよう!!】
でした。

そうしていくつかの都道府県の都心部の夜景を、ネットで検索して見比べました。
やっぱり東京はとてつもなく綺麗、、だけど高知から遠くてあまり親近感が湧かないなぁ。と思いながら探していて「ここだ!」と思ったのが大阪!
大阪の大学を志望することに決めました。

大阪駅の夜景

また、志高く努力する仲間や指導力抜群の先生といった最高の環境に運良く恵まれ、見る見るうちに学力を上げることができ、結果としてなんとか大阪府立大学に受かりました。

そして迎えた入学手続きの日。高知から大阪へ高速バスで行きました。
明石海峡大橋から見える神戸の夜景がとても感動的で、「やっと都会に出られる!!」とワクワクしたのを今でも鮮明に覚えています。

淡路島と本州を結ぶ明石海峡大橋


大学時代

大学入学後は絶対入ると決めていた軽音楽部に入部し、学業そっちのけでバンド活動に明け暮れました。

芸術系の大学ではないのに、軽音楽部には学外でプロとして活動している先輩たちがゴロゴロいて、最もお世話になった先輩からは、自分の名前で人との繋がりとシゴトを0から創り出していくことを学ぶことができ、今の自分の価値観に大きくプラスの影響を与えてもらいました。

その先輩に影響を受け、ぼくもオリジナルバンドを仲間を集め立ち上げ、学外で活動を行っていました。

オリジナル・コピー含め、様々なバンドを組んできましたが、ずっと一貫していたのは女性ボーカルのバンドを組んでいたこと。ぼくにとって、当時から女性もフロントで活躍するフィールドや、男女横並びのチームの理想像があり、キャリア支援・チームビルディングのビジョンを構想するルーツになっています。

バンドマン時代のぼく(笑)


社会人1~2年目

大学院まで進み、いざ就職活動。理系が強い大学ということもあり、周りには技術職を志望する人が多く、ぼくも技術職を中心に就職活動を行っていました。
しかしながら、製造業の研究/開発・生産・品質保証、あるいはITエンジニアなどの職種で働く自分像は、いまいちイメージができませんでした。

そんな中見つけたのが、半導体製品の【市場調査→商品企画→拡販活動】を一貫して担う仕事でした。
ビジネス全体をハンドリングする仕事に「これだ!」と直感的に感じ、面接を打診、無事内定をいただきました。

ところが、順風満帆な社会人生活はつかの間。入社した直後、会社の不正会計が明るみとなり業績が一気に転落しました。
当時ぼくが配属されていた事業は黒字化できておらず、その流れで中止・清算が決定されました。
それから半年間、事務所の片付けという超単純作業をやむなくされ、2年目の4月に部署異動。
1年目の屈辱を挽回するぞ!と意気込んでいましたが、結果としては上司や同僚と全く価値観が合わず、ほとんど仕事に身が入りませんでした。

当時の自分を今振り返ると、ベンチャー事業に挑戦したいのに、古い体質の企業(意思決定の遅い環境)を選んだことが結果の原因だと考えています。
でも幸いなことに、ぼくはそれを社会人1年目で経験できました。

それからこの状況をなんとか打開しようともがいていたときに、今でもお世話になっている方をご紹介いただき、その方の経験を教えていただく中で、今の自分の結果を創り出したのは他の誰でもない自分であることを気づかせていただきました。
同時に、自分が変わることで身の回りの現実を大きく変えられること、更には自分から始まる人との繋がりやコミュニティをどこまでも豊かにできることを気づかせていただきました。

すぐ転職することも選択肢にあったのですが、上記の体験や気づきから、今優先すべきは転職という"手段"ではなく、自分が創り出す結果・成果は全て自分に原因があると捉え、自分が"なんのために努力するか"や、自分が"どうなりたいか"といった、自分の内側にある本当の想いに向き合い続け、自分が決めた"努力する理由"や"在り方"を幹とする成長にフォーカスすることを決めました。
それから現在に至るまで、自分の価値観・考え方、そしてそこから始まる人との繋がりの価値に日々向き合い、チャレンジし続けています。


現在(2024年)

人とのコミュニケーションを通じ、自分が"なんのために"努力するか、"どうなりたいか"に向き合い続ける中で、理想の自分像とそこからくるコミュニティとビジネスの形が日々明確に具体的になってきているなと感じています。

そのデザインが、「日本の経済成長のために、次の時代を創る」というパーパスと、「『Creativity x Technology』の力で、感性に響き渡る体験を届ける」というビジョンです。

まずは目下の3つのミッションにフォーカスし、これから1つ1つを実現していきます!
①感性を刺激する『非日常体験』の創造
②データドリブン経営、数理マーケティング、AI活用
③キャリア支援

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