見出し画像

【読書記録】『複雑化の教育論』

2月に買った内田先生の本を少しずつ少しずつ読んで、昨日読み終わりました。

講演を聞いたり、お会いしたりしたことはないのですが、本書の著者の話をするとき、私はついつい内田先生と言ってしまいます。
全く面識がなくても、その人から教わった、何かを学んだと感じると、先生と認識するのだと思います。

本書は、2020年から2021年に3回にわたって行われた教育についての講演を書籍化したものです(第一講 複雑化の教育、第二講 単純化する社会第三講 教師の身体)。

本書の最後に内田先生が述べているように(内田先生の本では、他の本でも同じことを書いていますが)、できるだけ「誰も言っていないこと」を書いてくださるので、先生の本を読むと、「自分が感じていながら言葉にできなかったもの」に出会います。

自分が言語化できないことを言語化して返してくれる人の存在は非常にありがたいです。
学生のときの師がそうでした。
いろいろな「先生」と呼ばれる人に出会ってきましたが、自分を最も大きく変える影響を与えたのは、大学生のときに出会った研究室の先生です。
内田樹という人(の本)との出会いはもう20年も前になりますが、内田先生との出会いを作ったのも、ゼミのときの師の話です。


「複雑化」という言葉が本書のタイトルに付いているように、著者は「子どもたちがより複雑な生き物になることを支援するのが教育の目的だ」「僕が言う「成熟」というのは量的に何かが増えるということとは違います。成熟というのは複雑化することです。」と繰り返します。

「子どもの複雑化を素直に喜ぶことは大人のたいせつな職務の一つだ」とも述べています。

振り返ってみると、自分が最も複雑に物事を考えたのは修士論文を書いたときですし、その過程を最も近くで応援してくれていたのは師です。

「師」という言葉を使うのも憚れるほど不出来な弟子だと自覚しているので、非常にお世話になりながら、「学生のときの先生」とか「大学時代の指導教官」なんて言葉でしか言ってこなかったのですが、本書を読んでみて、素直に「師」とか「恩師」と言うべきだと反省しました。

もちろん人として未熟な部分は現在も多々ありますが、学生をしていたあの数年間でびっくりするほど成熟した(=複雑に考えるようになった)と確かに思います。


本に話を戻すと、「師の謦咳に接する」など伝統的な学びの在り方から、必要に迫られたオンラインの学びまで、時間を幅を長くとって話を広げます。決して昔がよかったというような懐古主義な展開ではなく、オンライン授業により「思いがけずうまくいった」ことにも触れて、これまでのご自身の指導を省みています。

本によってはどんどん読み飛ばすような読み方をすることもありますが、楽しみにしていた講義を聴講するように、聞き逃さないようにじっくり2か月かけて読みました。
行きつ戻りつしながら単純化しない語りを、今度は時間をかけてゆっくり消化します。

「バイ・アクシデント」の連続である人生を子どもたちと楽しんでいきたいと思いました。


いいなと思ったら応援しよう!