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復元!被爆直前の長崎~原爆で消えた1945年8月8日の地図
今回ご紹介する本は、被爆80年を迎える2025年、新情報を追加して
改訂第4版を発行した1冊です。
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『復元!被爆直前の長崎(改訂版)』
布袋 厚(ほてい あつし)著
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自然史研究家であり医師免許を持つ長崎の歴史探偵 布袋厚氏が精魂を込めて調べ上げました。
2020年の初版から増版を重ね、今回、新情報を加えて第4版が出来ました。
商店名や戸主名が書き込まれた住宅地図を見ていると、8月9日午前11時までの人々の営みが映像となって浮かんできそうです。
長崎市は1944年の夏に初めて米軍機による空襲を受けました。
その後も空襲は何度も続き、その6度目が原爆でした。
著者は原爆までの5度におよぶ空襲被害を次のように述べています。
淡々とした筆致に著者の深い怒りが感じられます。
【以下は本誌p132~133からの引用です】
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第1次空襲 1944(昭和19)年8月11日の夜、中国からとんできた29機のB29が工場地帯をねらって、それぞれ焼夷弾と爆弾を3トンおとした。
これは目標をはずれ、まわりの平戸小屋町・稲佐町・古河町の一部がもえた。
―中略―
これにより、13人が殺され、26人が重傷をおった。
第2次空襲 1945(昭和20)年4月26日午前11時、空襲警報がでていないときに1機のB29がやってきて、4トンの爆弾と7発の時限爆弾をおとした。
時限爆弾は出島岸壁・交通船・長崎駅構内で爆発した。
―中略―
これにより、129人が殺され、134人が重傷、144人が軽傷をおった。
第3次空襲 1945(昭和20)年7月29日午前10時ごろ、沖縄からとんできた32機のA26が51トンの爆弾と6トンの破片爆弾をおとした。
三菱造船所が中心で、ほかに市北部と市南部も攻撃された。
これにより、22人が殺され、3人が行方不明になり、10人が重傷、31人が軽傷をおった。
第4次空襲 1945年(昭和20)年7月31日の9時45分~12時ごろ、沖縄からとんできた29機のB24が香焼島の川南(かわなみ)造船所のほか、木鉢、平戸小屋町、稲佐町、竹ノ久保町、岩川町、愛宕町、土井首町、田手原名(たでわらみょう)などに爆弾をおとした。
これにより、11人が殺され、35人が重軽傷をおった。
第5次空襲 1945(昭和20)年8月1日の正午ちかく、24機のB24と26機のB25が、三菱造船所、製鋼所、長崎医科大学付属病院などに112トンの爆弾をおとした。
これにより、169人が殺され、40人が行方不明になり、215人が軽傷をおった。
―中略―
三菱の工場は壊滅的な被害がでて、生産がほとんどとまったようである。
原爆投下2日前の空中写真【3-004】では、工場の屋根に大きな穴があいているのがわかる。
また、長崎医科大学付属医院でも大型爆弾が耳鼻咽喉科病棟と産婦人科手術室、外科手術室の建物を直撃大破させるなどして、学生3人が殺され、多くの人が負傷した。
これにより、病院はまひ状態になり、原爆投下までに入院患者のおおくを退院させた。
【ここまで引用】
――――――
そして度重なる空襲で疲弊しきった長崎市民の上にアメリカは原子爆弾を投下しました。
布袋氏に倣うと次のようになります。
第6次空襲「原爆」 1945(昭和20)年8月9日、早朝に発令された空襲警報が解除されて人々が防空壕から職場や学校や自宅に戻り始めた午前11時ごろ、太平洋西部のテニアン島からとんできた2機のB29が長崎上空に侵入し、そのうちの1機が原爆をおとした。
これにより、7万3884人がころされ、7万4909人が重軽傷をおった。
布袋氏の『復元!被爆直前の長崎』によって、私たちは戦時中の多くの詳細な事実を知ることができます。
例えば、長崎が軍事機密に覆われた要塞都市であったこと。
稲佐山にあった高射砲は本土決戦に備えるため直前に他県へ移され、跡には木製のニセモノが置かれていたこと。
建物疎開が一定の延焼防止効果を果たしたこと。
さらに爆心地からの大火災が市の南部へ次第に燃え広がっていく様子が時系列で調査報告されています。
ほかにも長崎の原爆について色々な角度から言及されていて、被爆国に生きる私たちが後世に伝えるべき貴重な一冊だと言えます。
昨年(2024年)12月に長崎の民間使節団がローマを訪れたとき、バチカン市国の文化教育大臣は次のように述べました。
『NAGASAKIは人類史に残る町です』
もちろん宗教迫害と潜伏信徒発見の奇跡そして原爆を踏まえたもので、長崎が世界的にそのような認識を持たれていることが分かります。
この言葉を噛みしめ、私たち長崎文献社はこれからも地道に本を生み出していく所存です。
被爆80年となる2025年最初の編集部お勧めです。
(編集部 山本正興)
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『復元!被爆直前の長崎(改訂版)』
布袋 厚(ほてい あつし)著
定価3,520円(税込)
ISBN978-4-88851-418-7
書店にて発売中
長崎文献社のホームページからもお求めいただけます。