おばあちゃんの「ごめんね」
僕のおばあちゃんは、ひと言で言うと強い人だった。なんでも自分でやり、なるべく他人の世話にならないように生きていた。最期を迎える前日、寝たきりだったおばあちゃんが自分から「私をお風呂にに入れてくれないか」と言った。息子夫婦(僕の父と母)は何かを感じ取り涙ぐみ、孫の僕たちも驚いた。あのおばあちゃんがと。僕が知っている限り、おばあちゃんが人を頼りにしたのは、この時とあともう一回しかなかった。それだけ強い人だったのだ。
今回お話する、僕とおばあちゃんの冒険?は、この時から15年遡る。
それは、僕がまだ小学1年生の頃だった。
ある日の午後、何にもすることがなくハナ水を垂らしボーッとしている僕をおばあちゃんが誘ってくれた。
「隣の町まで買い物に行くけど一緒に行くかい?」
僕は「うん!」と
散歩に連れってってもらえることを喜ぶ
小犬のように息を切らし準備をする。
そして、おばあちゃんを置き去りにして、バス停まで走って行く
バスの中では、借りて来た猫のように静かにした。
ただ、バスの降車ボタンを押すことに集中していた。
女性の声で次々と停留所がアナウンスされる
僕はその度にドキドキした。
いよいよ目的地、降りる停留所に近づく。
「次は~」とアナウンスされた瞬間、どこからかピンポーンと鳴る。
問題の途中なのに自信満々に答える高校生クイズの早押しのように。
僕はただ頭を抱えた。そして、敗者のようにバスを降りた。
当時オープンしたてのハローシティーキンカ堂深谷店に着く。
神経質な僕は、迷子にならないように腰の曲がったおばあちゃんに
引っ付いて歩く。
おばあちゃんの買い物はすぐに終わった。
もう帰るのかと思っていたが、なぜかエスカレーターを登る。
3Fのおもちゃ売り場に着く。
おばあちゃんは「好きなもの買いな」とニッコリする。
僕は嬉しい気持ちを抑えながら「ううん、いらない」と答える。
おばあちゃんは眉毛の間に縦じわをつくり
「あまりこうやって出かけることもないんだから、遠慮せず買いな」
僕は少し困って、困りながらもおもちゃが欲しくて
迷ったけど、本当に欲しいものを指差した。
おばあちゃんは、また笑顔に戻って満足そうに
おもちゃを持ってレジへ行く。
おばあちゃんは、財布をバックから取り出す。
でも支払いを済ますまで時間がかかった。
会話の内容はよくわからなかったが、
何やら店員と話し込んでいた。
しばらくして「じゃあ行こうか」とおばあちゃんが歩き出す。
エスカレーターを降りて玄関を出ると、バス停ではない方に行く。
僕は、まだ何かあるのかな?と思いながら黙ってついて行く。
農業をしながら8人の子供を育てたおばあちゃんは、
当時65歳だったと思うけど、腰も曲がっていたこともあり、
肉体的には、年老いて見えた。
そんなおばあちゃんが、少し歩くたびに立ち止まり腰を伸ばす。
それを繰り返していると、辺りは静かにな住宅街になっていた。
ある家の前に立ち止まると、再び腰を伸ばし
「おばあちゃん親戚の〇〇さんに用があるから」と
インターフォンを押す。
「………」何回か押してみるが、返答はなかった。
ため息をついて「いないみたいだね」とつぶやく。
再び歩き始める。
また少し歩いては立ち止まり腰を伸ばす。
そして、今度は僕に向かって「ごめんね」と言った。
僕は何のことか分からず、ただニコッと笑う。
おばあちゃんはその後も立ち止まるたびに
僕に「ごめんね」と謝っていた。
僕は何だか悲しくなって、でも泣いたらいけないと思って
我慢しながら歩いた。
結局、1時間くらいかけて自宅にたどり着いた。
その夜、僕は父親からも母親からも、
今までの記録を塗り替えるほどの勢いで叱られ、怒鳴られた。
おばあちゃんは僕をかばうために、それを越す勢いで怒鳴った
「この子を責めないで、悪いのは私なんだから」と。
後からわかったのだけれど、買ってもらったおもちゃは、
1万円もするものだった。
おそらくおばあちゃんは残り1万円しか持っておらず、
バス代がなくなることが分かっていながら、
孫のために買ったのだろう。
そして、孫を歩かせることがあまりにもツラくて
人の世話になることが嫌いなおばあちゃんが、
親戚の家を訪ねお金を借りようとしたんだと。