私は統合失調症「14年目」
人間みんな何かしら抱えて生きていて、
何もないまっさらな人なんて皆無に近い。
それぞれの人生で、
それぞれのストーリーがあり、
それぞれの主観がある。
それが本当に理解ったのは、
おそらくここ3年の話。
私は「統合失調症」という病名をつけられてから、
今年で14年目になる。
「死」が頭から離れなかった数年もあれば、
「自分に価値がない」と悩む数年もあり、
人と比べ、劣等感を持ち、
他人にうまく溶け込めないことから、
「欠陥品」と嘆く数年もあった。
人の感情に敏感で、嫌われることに
異常なほど恐怖を感じていた。
たとえば。
寝不足でただ機嫌が悪いだけなのに、
「私、なにかしただろうか」とか。
その積み重ねで勝手に辛くなり、休む。
休めば次の日が行きづらい。
どう思われているだろうか…
負のループでしかない。
あの頃の私の、すべては
「つらい」「死にたい」なのだ。
その理由は、事実もあれば、
案外なんてことのないものだというときもある。
でもそれはその時には思えない。
彼女は、いままでの道を歩んでこなかった私
彼女は、いま周りにいる人に出会えなかった私
3年前大切な人が亡くなり、
「自分の人生を生きなければ」と思った。
自分の性格があまりにも欠陥品だと思っていたことは、
時が経てば案外病気によるもので、
本来の自分はまったく違うものだったりする。
病気はなんであれ、その人自身しかわからないものであるし、
その人を大切に思う人の負担も理解はしえない。
だから、甘えてる、とか。
大丈夫でしょ、とか。
そんな言葉は言わないでほしい。
でも諦めないで、投げ出さないで、
「絶対に病気を治す」という思いだけは捨てないでほしいな。
そして、自分の限界が来る前に、身を引くこと。
自分自身を守るために。
治るとか、治らないとか、
結果論ではなく。
「あなたはいまも統合失調症だと思う?」
と聞かれた時、
イエスともノーとも答えられない。
どこまでがいわゆる普通で、
どこまでが病気かなんてもうわからなくなったから。
だから、私は病院のドアを叩く。
主治医が「それは当たり前の感情だよ」
と言ってくれるから。