不器用で大人になれない若手時代
看護師になって、新人の頃はけっこう尖っていて
間違ったことは間違ってる!
正しいことは正しい!
と
相手が誰であっても豪語してきた
でも途中で
新人や若手が何を言っても全然聞いてもらえないことが判明し
(そりゃそうだ)
いっぱい敵も作ってしまったりして
それでも味方で居てくれた人に
「あんたは不器用だから心配になるわ。」
と言われた。
不器用ってなんだ?!
そもそも自分が悪くないのに謝ったり
納得してないことに取り組むほうがよっぽど不器用だ
自分が心から信じたことの方が集中力は上がるし
クオリティも段違いになる
意味もわからず
意義も不明のまま、前になんて進めないじゃないか。
中堅くらいになって
まだ同じ様に
「それは違う!」と叫ぶ系だったものの←大人になれない
まず仕事をしてから
まず仲間を作ってから
まず結果を出してから
そう意識するようになっていた
ずいぶん器用に世の中を渡っているつもりで
仕事のクオリティに関しては文句なしに評価を得た
がしかし。
が、しかしだった。
「仕事ができるかできないか、なんて上司は見てない」
「黙って言うことを聞くかどうか、使える部下かどうかが大事」
と先輩に言われ、
実に、2度目の絶望を味わった。
どういうこと?
仕事ができてもできなくてもどっちでもいい?
仕事ができる方が使える部下に決まってんじゃん。
え、黙ってYESって、何も考えるなってことですか?
そう先輩にまくしたてると、←まくしたてるなよ
「最低限のことをしてればいい。
私らヒラが、何を言っても変わらん。」
と。
ほうほう。
なら、上に上がればいい。
そして12年目くらいで、初めて管理職になった。
管理職になってからは
自分が正しいと思うことを実行して
おかしいと思う取り決めは片っ端から廃止して
作るべきシステムはすぐに作った
時には直属の上司である師長と何時間でも議論した
(つまりケンカもした)
誰かが困っていたら、その困った理由をきいて
すぐに改善した
それが管理職のあるべき姿だと信じて
もう水を得た魚のように働いた
でも、
そうして管理職をやって2年が経過しようとした頃に
私は3回目の絶望を味わう。
つづく
心の中のツッコミ:
どんだけ絶望味わうねん。
Nバク