クソ映画から創作の『真理』を見つけた話
――クソ映画。
ダメ映画ではなくクソ映画。
それは希有な存在。カルト的な人気があってこそ其の名を冠することができる、ある意味栄誉ある称号。
今回、ひょんなことから作家仲間(ルビ:マブダチ)の宇佐先生から投げつけられた特級呪物級のクソ映画はこちら。
よくもこんなクソ映画を!(大歓喜)
あらすじはこんな感じ(以下抜粋)
令和になってこのあらすじはねーぞ。(※褒め言葉)
まちがいねー! これはZ級の匂いがプンプンするぜ!!
ということで早速視聴してみましたが開幕二分で「これはクソ映画です!」っていう圧倒的な(意味深)VFXにやられた。
これはスゴい。とんでもねえクソだ。(※褒め言葉)
開幕から殴るは私も小説でやっていることですが、ここまでガード不能かつ回避不能な一撃を食らうとは。しかも狙ってやってきた。
そこからはもう何と言うか、映画もアニメもマンガも小説も通じて絶対やっちゃいけないことをあえてやっている。
つまりタブーの津波。
その情報量に窒息しそう。
無駄なオープニング、無駄な導入、無意味な回想、無説明の設定、無意味なサブキャラの掘り下げ。DIO様ビックリの無駄無駄ラッシュ。
そしてやっぱり予算が無かったのかチープ通り越して狙ってますよねっていうくらいの小道具の数々。
特にクソなのは尺稼ぎかと思うくらいの助長な箇所。テンポは投げ捨てるモノってか。
オープニングですら抱えてたムスッコは秒で寝るし、停止しないままムスッコをベッドに運んでトイレに行ってコーヒーをマグカップに入れて戻ってきてもまだ同じシーンだった。
スタンド攻撃でも食らってんのか私は。時間を遅滞させる能力とは恐れ入った。
そして肝心の恐竜へ変身もJOJO第7部『スティール・ボール・ラン』のDIOのスタンド『スケアリーモンスターズ』のような変身かと思いきや凄まじいまでにチープなもの。マンガの1コマに負けてんぞ。
極めつけは殺陣。舐めてんのか。一周回って笑っちまうわこんなん。
設定もガバガバ。いきなり主人公の家の設定が追加されるし謎パワーが展開する。
何一つ成立していないのに、何故この映画が成立しているのかがわからない。
そうして一気に駆け抜けた1時間10分は何が起きたのかサッパリわからなかった。ただただ笑い続けていた。
そして何故か「この映画は素晴らしい」という狂信の芽生えが心にあるあたりいよいよ呪物めいてきた。
どの角度から観ても100点満点のクソ映画。多分というか確実にワザとクソ映画に仕上げているんだろうな。
堪能したはしたけれど、そもそも何故私はこのクソ映画を全部見れてしまったのか。これがわからない。
創作者じゃないとわからないかもですが、お客さまに全部見せるってことは実は高等技術なんですよ。
創作や、特になろうとかWEB小説を書いている人なら解ると思いますが最後まで読ませる、見せるってどれだけ大変か。
ただ楽しいだけ、ただ笑えるだけでは続かない。ましてやクソ映画など。
書き手、描き手、歌い手、動画作成者ありとあらゆる創作者はあの手この手でクオリティアップに苦心して、読み手の興味と飽きのサイクルを読みつつ、ここぞとばかりに決め台詞や見せ場を持ってくるもの。
創作とは、エンタメとはーー人の感情をメタりながら、楽しさを断続的に提供し続ける計算し尽くされた努力と作品愛の結晶なのだ。
なのに。
なのに、である。(震える拳)
この「必殺! 恐竜神父」は「そんなん知るかバーカ! クソを喰らえ!」とばかりに、お構いなしにタブーの津波を浴びせかけてくる。
にも関わらず、観た者の心を惹いている。
プロの作家の私にさえ「素晴らしい(?)」と思わせるほどにだ。
何故だ。
こんなガバの6兆乗くらいしたドレッドノート級のクソガバ脚本に何故。
――と。
そこでふと思い出したのがこのツイート。
ここで言われている「設定に矛盾はあってもキャラの感情に矛盾が無ければ問題無く読める」という言葉。
確かにこの「必殺! 恐竜神父」の主人公の感情は矛盾はなかった。
冒頭二分の衝撃で忘れそうになったけど、彼には目の前で両親が爆殺されたというトリガーがあって、力を手にして、ヒロインを救い説得されて醸成された「恐竜の力を手に、神でも目を背ける悪を義憤と衝動のまま罰してやる!」という感情に最後まで全く矛盾が無かった。
こ、これかァー!!!
(愚地独歩が真の正拳に目覚めたエフェクト)
よくよく考えたら自分が書いた「パワー・アントワネット」もそうだった。
フランス革命に筋肉という頭おかしい組み合わせに1本のぶっとい芯ができたのは、主人公の感情が全く矛盾なかったから。
例えばゴールデンカムイもワンピースもそうだし、こち亀だってそうだった。わかりやすい例で言えばJOJOなんてモロにそう。
スタンドは冷静に考えれば矛盾がかなりあるし、性別まで途中で変わったキャラもいるけどキャラの感情はどれも矛盾がなかった。
私の作品は比べるのもおこがましいからさておいて、愛され続ける作品というものはこの条件を鉄壁なまでに護っている。
逆に設定に矛盾がなくキャラの感情に矛盾がある作品は読めない。
プロじゃない人で今ひとつ結果が出ず頭打ちになっている人が大体これだ。けっこう見る、こういう人。
――なんということだ。
クソの中からダイヤを拾い上げてしまった。
これだからクソ映画を観ることはやめられない。
必ず内なる自分の発見があるし、何より「私はこれよりマシだ」って安心できる(※褒め言葉)
駄作とクソ映画を見分けるのはとても難しいけれども、皆様も創作で行き詰まった時はクソに飛び込んでみるのは如何だろうか。クソダイブである。
少なくとも、悩んでいたことが馬鹿馬鹿しくなること請け合いだ。
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