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ニューウェーヴを消化したアメリカン・ロック

ポスト・パンクからニューウェーヴ

70年代末の英国パンク・ムーヴメントが短命に終わった後、テクニック的には限界のあった彼らが突き進んだのはレゲエであったりスカであったりラテンであったりといった従来の欧米系音楽から離れた形であったり、新しい楽器としてのシンセを使ったエレポだったりしたわけですが、その頃アメリカはというと80年代前半に到来した第二次ブリティッシュ・インベイジョンにも影響を受けて行きます。とはいうものの、あくまでその影響は表層的なものだったように感じます。もちろん例外的にトーキング・ヘッズのようなニューヨーク・パンクの一派やレジデンツやペル・ウビュのような突然変異系はいるものの、メインストリームではニューウェーヴの影響を深いレベルで消化したUS系アーティストは少ないように思います。そこで今回はそんな人たちの中でメジャーどころをご紹介。

ホール&オーツ

80年代を代表するアメリカン・ロック・デュオの彼らですが、初期のようなブルー・アイド・ソウルで語ることのできない懐の深さを持っています。それが現れたのは79年のアルバム「モダン・ポップ」(X-Static)。彼らの畢生の名曲「ウェイト・フォー・ミー」を収録しているために印象が薄れていますが、このアルバムはガチガチのエレポップ集。

ただやはり彼らのルーツがそうさせたのか、どこかそこにはブラック・ミュージックの香りが漂うところがあり、ファンク的要素も強い。また「ナンバー・ワン」といったモロにレゲエタッチの曲も収録。リズムにフォーカスを当てた作とも言えます。

興味深いのはこのアルバムのプロデューサーはあのデヴィッド・フォスター。故にシンセ・オリエンテッドな作品になったのでしょうが、彼らの作風がニューウェーブ寄りに変化したところと上手く化学変化したように感じます。彼らとフォスターのつながりはその2作前の「赤い断層」(Along the Red Ledge)が最初ですが、それとの連続性はほぼないのが興味深いところ。
続くアルバム「モダン・ボイス」(Voices)になるとニューウェーヴっぽさはやや薄れ、ギターサウンドとコーラスの融合をうまく図ろうとした節がありますが、それでも「ゴッタ・ロッタ・ナーヴ」のようなニューウェーヴ趣味全開のような曲もある上、全米1位となった「キッス・オン・マイ・リスト」のようにビートボックスを使った曲(これはスライ・ストーン経由かも)もあって、彼らがソウルとニューウェーヴを融合することを狙っていたと考えられます。

その辺りの彼らの意図をうまく汲み取ったのが85年のポール・ヤングによるカバー「エヴリタイム・ユー・ゴー・アウェイ」で、原曲は普通のサザン・ソウルだったにもかかわらず、ポールのヴァージョンはバッキングが完全にニューウェーヴ以後といった感じに仕上げられていました。
そして大ヒット作「プライベート・アイズ」に至るわけですが、ここで彼らは前作での狙いを完全に実現したかのような突き抜け感を持ちます。その成果の最たるものが全米1位の「アイ・キャント・ゴー・フォー・ザット」ですが、小ヒットに終わった「ユア・イマジネーション」のこなれ方も実にニューウェーヴ的。

ところが面白いことに続く「H2O」では、その絶妙なバランスをやや極端に打ち出したところがあります。一気にニューウェーヴ的な要素を打ち出した曲の典型が「クライム・ペイズ」。

そもそもこのアルバムはマイク・オールドフィールドのニューウェーヴ・ナンバーである「ファミリー・マン」をカバーするなど、おそらくこの時期が最もブリティッシュ系を意識していた時期ではないでしょうか。
その後の彼らはニューヨークのヒップホップに接近し、アーサー・ベイカーと組むことになります。この辺りの時代への目配りの聡さはさすが。

カーズ

ホール&オーツに思いの外字数を割いてしまったので、簡潔に。
ボストン出身のカーズですが、中心人物のリック・オケイセックは元々CSN&Yあたりが好きだったそうで、彼らのニューウェーヴ体質はどこから来たのかよくわからないところがあります。他のメンバーにしてもベースのベンジャミン・オールやキーボードのグレッグ・ホークスは音大出身というバックグラウンドなので、この辺りは本当に謎。ただ彼らのサウンドの鍵はグレッグ・ホークスの弾くシンセで、彼がよく見せる単音弾きは非常にニューウェーブ的。

極端な話、グレッグによるシンセとパンキッシュなエリオット・イーストンのギターがあれば概ねカーズ・サウンドが出来上がるように感じますね。

ヒューイ・ルイス&ザ・ニュース

え?典型的なアメリカン・ロック・バンドでしょ?と言われそうですが、彼らのシンセの使い方にニューウェーヴを感じることがあります。弾いているのはショーン・ホッパーで彼のルーツが関係ありそうですが、それを抜きにしてもショーンも参加していた前身バンドであるクローバーはエルヴィス・コステロのファースト・アルバムに参加していたり、シン・リジィのツアーに参加していたりというキャリアも影響していそう。

ヒット曲の「ハート・アンド・ソウル」は以前も紹介したようにイギリスのバンド、エグザイルのカバー。作曲はブロンディ、ザ・ナック、スウィートらで知られるヒットメイカーのニッキー・チンとマイク・チャップマン。

その他

マイケル・ジャクソンは一時期、ポール・マッカートニーやミック・ジャガー、フレディ・マーキュリーといったUKの大物と共演していますが、彼の当時の興味はクラフトワークやアダム&ジ・アンツだったそう。YMOの「ビハインド・ザ・マスク」をカバーしようとしたり(これはプロデューサーのクィンシー・ジョーンズの推薦だったそう)、イギリス出身のヒートウェイヴのロッド・テンパートンに作曲を依頼したりというあたりからも相当意識していたであろうことは想像がつきます。
またプリンスも「パープル・レイン」のレコードレーベルはゲイリー・ニューマンの影響であることが知られています。
ビリー・ジョエルの80年作「グラス・ハウス」は一般的には彼のロックンロール・アルバムとして知られていますが、「Sleeping with the Television on」などのアレンジにニューウェーヴの影響が感じられます。
トッド・ラングレンの81年作「ヒーリング」はモロにニューウェーヴ、ニール・ヤングは83年作「トランス」でなんとヴォコーダーを使う荒技に出た作品もあり、自身の音楽性として消化したとは言えないまでもその影響力の大きさは無視できないと思います。

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