楽しみながら闘う人を見た日(2022年8月28日&9月3日、東京女子プロレスを観戦して思ったこと)
プロレスの何に感動したのか。
プロレスを語りたくなるのはなぜなのか。
そうした本質に迫りたいと思うと同時に、それはそうとしてプロレス観戦して熱くなりたいよね、という気分で、また別のプロレス団体の興行へ足を運んだ。
東京女子プロレスの女性限定無料興行。
どんな闘いが見られるのか、ソワソワしながら見守るリングに可愛らしいリングアナウンサーが上がる。
第一試合、の前に歌のコーナー……レスラーの女の子たちが歌って踊り、会場をあたためる。
拍手と掛け声でライブに参加してる感覚のまま、試合が始まった。
レスラーの面々が、とにかく可愛い!
可愛い女の子たちが、体張って闘っている……!
「闘う体を自分のものにしている」上で、演劇にも似た見せ方がきめ細かく工夫されている。
プロレスの技のせめぎ合いもありながら、それだけじゃないところも楽しもう! という思いを感じる興行だった。
それだけじゃないところ、とは何なのか。
サイン会にも参加した帰り道、はたと思い至る。
彼女たちが見せてくれたのは、「女の子は楽しい」という感覚。
私にとっては、身体感覚と同じかそれ以上に忘れていた感覚。
女子を生きることを楽しみながら、強くなれること。闘えることを、彼女たちは見せてくれた。
ジェンダーギャップやハラスメント等々に対して思うところがあっても、それはそれとして「女の子であることを楽しむ」ことはできる。そういう心の自由はあるじゃないか、と気付かされた(シンプルで当たり前なそんな真理を見失うくらい、心が疲れていただけかもしれないが)。
楽しみながら、強さを身につけ闘っている彼女たちは可愛くて美しい。
この感動は、「プロレスを観ると元気になれる」という言説に通じているように思う。
結局この言説に集約されてしまう予感はするけれど、「プロレスを観ると元気になれる」という言葉だけでは伝えきれない思いもある。それを語る言葉を探して、私はまたプロレスを観に行くのだ。