闘う人を見た日(2022年7月31日スターダムを観戦して思ったこと)
観戦に至るまで
ヴィジュアル系のライブに行っていた頃、私はライブを見ることで身体感覚を味わっていた気がする。
耳で聴き、音を体感し、頭を振り、声を出して、手を振って咲いて、座ることなく足でフロアを踏みしめる二時間、私は確かにこの体で生きていると感じた。
好きな音楽の作り手、演じ手が目の前にいるのを見て、同じ時間を生きていることに感動し、陶酔していた。自分たちの音楽を通して時間と場所を共有するライブを行うことで「(ファンの)居場所になる」と語るインディーズバンドにのめり込んだ。
そう言ったバンドが三年も経たずに活動休止を宣言する(99%活動が再開されることはない)。五組くらいそんな目に遭い、私の足はライブから遠のいた。
あの熱狂は何だったのか……。
ふと思うことはあれど、身体感覚など考えず、読書と映画と観劇を定期的に味わい、TRPGでかろうじて私的な人間関係を築く日々を過ごしていたある日。
TRPGのキャラクター設定を考えるにあたり、資料が必要になって書籍検索をした。
いくつかの候補の中から、私はこの本を選んだ。
尾崎ムギ子『女の答えはリングにある』
女子プロレスラーへのインタビューを、女性ライターが女性編集者と協力してまとめあげた一冊だ。
読み始めたら止まらなくて、ほとんど一気読みだった。
なるほど。これは深く知りたい世界だと確信し、動画を検索し、推し選手に出会い、遂に試合を見に行った。
初観戦
選手入場を見守るのは、ヴィジュアル系のライブを見るテンションにも似ていてワクワクした。
試合が始まると、生身の体が立てる音に心が震えた。
痛そう、とは思う。でもそれ以上に、立ち上がって! もう一度(何度でも)挑んで! と手を叩く自分がいた。
決着がつくと、勝者の名が讃えられ、再び鳴る入場曲に胸が熱くなった。
あれだけ大変な闘いの直後に、勝者はマイクを取って語る。
闘う体を自分のものにしている人が語る言葉は、美しかった。
一体私は、何に感動していたのだろう。
ライブでの陶酔ならば醒める。帰り道という絶対的現実に屈する。そんな束の間の熱狂とは何かが違った。プロレス初観戦で浮足立っていたことを差し引いても、私の心は確かに動いていた。
何に感動したのか。それを語る言葉を求めて、私は再び『女の答えはリングにある』を読んだ。他の本も読んだ。あれやこれやと動画もまた検索した。
そのうちに、ふと気づいた。
あの会場で「生きて闘っている人間」を、私は初めて目の当たりにした。
彼女たちを見て「闘う体を自分のものにしている」と思ったのは、私が忘れていた身体感覚を「闘う」という形式で見せてくれたからなのではないか。
プロレスの何に感動したのか。その答えがすぐに出せるとは思わない。初観戦で得た思いを、ようやく言語化できたという段階だろう。
プロレスは、深く知りたい世界として私の目の前にある。
ならば言語化を諦めずに突き進んでみよう。
さて、次はどの試合を見に行こうかな。