自由律俳句①
母主演の映画の役立たずなヒーロー
隠したチョコレートが苦かった
叶わぬ片想いの風鈴が揺れる
その人は母に好意を持っていた。
遠くに住んでいる彼に母は数年は会っていなかったと思う。
母の携帯の中に残っていたその人からの沢山のメッセージは前向きで明るかった。あなたの力になりたい、あなたの為なら何でもするよという様な事が、間接的にではあるが拙いメッセージで綴られていた。
母は彼に何を話していたのだろう。彼に少しは心を許したのだろうか。
娘の私から見ても母は魅力的な人だった。男性に好意を寄せられるのは不思議ではなかった。
そして穏やかな気持ちでメッセージを読めるのは、母が決して相手の好意に甘えたり、それを利用したりしない女性であったことを知っているからだった。
夏のある日、母宛にふいに届いた荷物。
マットで上品な輝きと洗練された無駄のないフォルムが美しい風鈴がひとつ、大切そうに包まれていた。
縁側に飾ると風に揺れて、透き通るような音色を奏でた。
母はもうこの世にいない。
彼に母の死を知らせる人がいなかったという事は、他に母を通じた知り合いがいないのだろう。彼に連絡するのなら今しかないと思った。
彼はすぐに電話に出た。年配の男性の穏やかそうな声が、訝しげに応答した。母の名前と、その娘ですと伝えると空気がほんの少しだけ和らいだ。突然の電話のお詫びと風鈴のお礼、そして母がすでに亡くなっている事を伝え、生前お世話になった事への感謝も添えた。
彼の反応は声だけの印象だが、あっさりしたものだった。
そうですか…という風で、こちらも淡々と、はいではさようならと電話を切った。
少し期待外れだと感じ、そんな自分を恥じた。母が亡くなった事で悲しみに暮れる人間が、一人でも増えればいいと思っていた自分の卑しい心に気付いたからだった。
本当は風鈴のお礼はただの口実で、私は彼を悲しませたかったのかもしれない。意地の悪い娘である。
母の携帯の中に残っていた彼の能天気なメッセージが気に触った。もう少し気の利いたメッセージを送れなかったのだろうか。あんな薄っぺらい慰めが何になるというのか。母は死にたいほどに苦しんでいたのに。ポジティブな言葉は時に、刃にしかならない。
その人は何も悪くないのに。母の死が理不尽に思えてならず、その頃私の心の中には得体の知れない怒りが充満していた。
彼は電話の後、母を想って泣いてくれただろうか。好きな人の死をその娘に告げられて、どんな気持ちでいたのだろう。
本当に本当に好きなら、生きている間に母を連れ出して目を覚まさせてくれたらよかったのだ。母を、こだわりや呪縛や責任感から解放してほしかった。そうすれば母の最期はあんなに悲しいものにはならなかったはずだ。
不倫でも何でもすればよかったのに。
そんな事はあり得ないのに、悪態をつき責任転嫁をして、母を助けられなかった罪悪感を拭いたかった。
死にゆく母の側で、私はあまりにも無力だった。
誰よりも幸せになって欲しいと願った人は、あっという間に天に召されて消えた。
「ありがとうね」
そう言って母は私を抱きしめてくれた。
母は、最期まで美しかった。
私が連れて逃げれば良かったのだ。
縁側でチリンチリンと美しく風鈴が鳴る。
きっと父は、何も知らない。