死んでいたこころとからだが、息をふきかえした話
疲れ果てて、何もできなくなって、予定を全部キャンセルして11時間眠ってはじめてご飯が作りたくなった
無駄なこと、というか、何かに手間と時間をかける余裕がないってこんなに大変なことなんだなと思った
でもいつも“ていねい”であることもできないし、自分がよくわからない
波が大きい
そして作ったのが鶏だしのフォー
カルディで売っていて食べたくなった
パクチーの、よく発酵したチーズのような香りがだしによくあった
温かいスープを飲んで、ひさびさに心地よく満腹になった
“ごはんの時間”を取って、何も見ずに聞かずにごはんをたべたのはいつぶりだろう
最近はずっと、そこにあるものをそこにあるから適当に食べるだけの暮らしでしかなかった
自分で食べたいものを選び取って、作って、食べるのはいつぶりだっただろうか
温かいものを、作って、食べて、きちんと満たされたのはいつぶりだっただろう
冷たいものを味わいもせずに胃に放り込んで、胃が消化に困って気持ち悪くなるだけだった
今日は、ちゃんと胃が動いて栄養を取り込んでいる気がする
疲れ果てたあと家事がしたくなるのは、
疎外されていた“自分でつくる喜び”を取り戻す作用なんだなと思った
社会教育論で「“お客様扱い”は生きる喜びを奪ってしまう」と言っていたように
便利は引き換えに 自分で生きる喜びを奪っていったんだな