#6 なぜ雪村流の縄が好きなのか?その2(床縄|各論編)

 私は残念ですが加虐が強めの性癖ではありません。よって、責め縄全盛の緊縛の世界に、私の居場所は無いのかな・・・と思っておりました。その中で出会ったのが、雪村春樹先生がはじめた雪村流でした。(「#4 縄が好きになった訳」)  
 「#1 なぜ雪村流の縄が好きなのか?その1」では総論として書いてみました。今回は「床縄」と主体とした各論として書いてみたいと思います。
 
 なお、私は雪村流を学ぶ、ただの一人の生徒にすぎません。あくまで私の個人的なフィルターを通しての文章ということを予めご容赦ください。

 さて、雪村先生がはじめた「雪村流」。全吊りをせず、床縄でのやりとりが多い縛りです。
 縛り手と受け手との「コミュニケーションを大事」とした流派という印象があります。そして雪村先生のキャッチフレーズ「縄奉仕」という言葉通り、縄による奉仕の結果「相手が望む感情」を引き出す縄です。
 
 ところで、どのような縛りでも、双方のコミュニケーションは必要不可欠です。 そもそもコミュニケーションが成立していなければ、縄を持った男性が女性の背後に座るという行為は出来ないでしょう。つまり「コミュニケーションが大事」ということは、その深さの程度はあるももの、あらゆる縛りの中で前提となる共有事項だと思います。
 さらに「相手が望む感情を引き出す」ということも、同じく、どの縛りでも共通することです。たとえば「奇麗に縛って吊ってあげる」こと、たとえば「圧迫によって縄酔いさせてあげる」こと。これらも受け手の感情を引き出す縛りの例でしょう。
 
 つまり、縛りというものは、人の性癖がベースになる以上、簡単に分類できるほど単純ではないように思います。
 少なくても「吊りVS床縄」「責め縄VS愛撫縄」のような、二項対立の二元論へ議論を落とし込むことは不毛だと考えます。
 
 その中で、私が考える雪村流の特色をあえて挙げるとすれば、  
 ・コミュニケーション”だけ”にフォーカスしている。 
 ・受け手の感情ひきだすこと”だけ”を目指している。 
という点かもしれません。
 以前(#1)でも書きました「北風と太陽」のお話で、雪村流は「太陽」の縛りで相手の心を脱がすのです。

  もうすこし踏み込んで書いてみます。
  
 責め縄というのは、主導権は縛り手にあると思います(私は責め縄の性癖 が無いので推測の文章でお許しください。) 
 責めることが目的ですから、二人の関係は「責め手→受け手」となります。よって、責め手(縛り手)が受け手をコントロールします。もちろん受け手の魔性に引きずられて、受け手をコントロールしているつもりが、逆にコントロールされている時があるかもしれせん。様々な相互作用の中、主導権は概ね責め手側が握っていると思います。
 雪村流では、コントロールではなく、リードとフォローの関係になります。つまり100%、受け手の望みに任せます。
 スタートこそ縛り手からのアクションですが、すぐにフォローに入ります。そしてタイミングを見て少しだけリードして、またフォローに入ります。勿論だらだらとフォローしてはいけませんので、決めるポイント(感情のピークポイント)を作ることも重要です。
 雪村流も上級者では責めも入るようです。ただし愛撫とセットであったり、あくまで受け手の希望に任せると推測します。受け手が責めを望むなら責めを、愛撫なら愛撫を、癒しなら癒しを、全て受け手の望み通りにリードする縄です。
 また、雪村流はギチギチに縛りません。後手縛りも高手ではなく、思いっきり下の方で手首を交差させます。それはある程度の自由さを残し、 縄のあそびを作るためです。結果、受け手が感情のリアクションを演じる余地が作られるのです。

 ところで雪村流には、形がありません。 またA→B→C→Dという展開の順番はありません。
 レッスンでこそ「手錠縛り」「獣縛り」「片足開脚」というパターンで習いますが、基礎ではこの3パターンだけです。中級でアドリブに入り、細かいレシピを習います。
 もし型を覚えるだけでしたら、基礎の3パターンは、早い人なら全部で1日もあれば十分でしょう。しかし、それを何年もかけて行います。 紫春妟先生のXの投稿によれば 「(雪村先生は)基礎は3年やって欲しい。少し責めが入るような上級の縛りはその後にして欲しい」 と言われていたそうです。なぜなら、型ではなく、型を通じて受け手の感情をキャッチして、リード&フォローする術を習う練習だからです。
 え、それだけのこと?簡単では?と思われた貴方!素晴らしいです!ぜひ雪村流はいかがですか!私は・・・、本当に大変です。
 型はいわゆる方便です。 禅の修行僧が師匠と問答する行と同じです。結果として得られる答えはシンプルなもの。しかし本物というのは、常にシンプルな気がします。
 
 さて、ここまできて、ようやく「床縄」のお話に進むことが出来ました。
 「吊り」でも、縛り手と受け手が精神的に強く繋がっていることは、もう説明するまでもないことです。
 「雪村流」では、その繋がり度が増すと考えます。なぜなら「コミュニケーション”だけ”にフォーカスし、受け手の感情ひきだすこと”だけ”を目指している縛り」だからです。
 二人の物理的な距離感は非常に近いものあります。そして縛り手は縄尻で受け手をリード&フォローします。親指でじんわり縄尻をひきながら、受け手の表情、吐息、表情を探ります。それはわずかな脚のモゾモゾかもしれませんし、わざと腰を引いて縛り手を誘惑しているのかもしれません。その微細な感覚を強く感じられることが床縄の魅力だと思います。
 余談ですが、以前の新宿ニューアートSM興行(三代目葵マリープロディース:縄遊戯~雪村流の遺志を継ぐ者たち)において(飛室イブさんか荊子先生か失念いたしましたが)雪村流の密着度について説明がありました。昨今のセクシャルな問題に敏感な中、たしかに難しい点が多いかもしれません。しかし、その点はお互いの合意事項を守ることでクリアできると個人的には考えております。

 雪村流にご興味をもたれた方、「#5 雪村流を知るために」をどうぞご笑覧ください。雪村流は現在も定期的にショーを行っております。
 そして学びたい方、ようこそ!ぜひ一緒に頑張りましょう。

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