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山内マリコ/マリリン・トールド・ミー②女性コミュニティの中でしか生きられない男子
おさらい
さて、主人公の瀬戸杏奈があまりの自尊心の薄さから、被害者意識がアイデンティティになり、人の親切をうまく受けられず、その大元は毒親育ちゆえ、というのは①で説明しました。
そして、自分は、貧困のコロナの日本政府の被害者と思い続けていると、自分を大事に扱わない人、被害者にし続けてくれる人と居心地が良くなってしまうのだ。
自分を軽んじる人から離れられない
144pからの「四年生には居場所がない」は、ゼミの下級生たちがアクティブに活動している事実に四年生の瀬戸杏奈と新木流星が一緒に絶望するところから始まる。
ここでのカフェテリアの会話はかなり面白い。新木流星は、常に瀬戸杏奈を見下していて「魯肉飯知らないとかあるんだ」とか、「瀬戸さんはまじ、いないも同然だった」とかいちいち自己肯定感の下がるようなことを言う。
瀬戸杏奈も瀬戸杏奈で、本音で話す新木流星に対して
なにを言っても差別発言になりそうでビクビクしてしまう。配慮しなきゃ、正しくいなきゃ。あたしは優等生っぽいことを言って逃げた。
たくさんの学生が集まるカフェテリアで、自分の発言で誰かが傷つかないように配慮しているのだ。
皆が誰かの話をしている場所で、すごく自意識過剰。まるでYouTubeの動画撮影でもしているかのよう。誰かのことを気遣っているようで、自分を守ることしか考えていない。おしゃべりでストレスを解消する場所で、逆にストレスを溜めている。
きっと、誰かと一緒にいたい。というさみしさだけが強烈にあって、さみしさを紛らわすために、自分を軽んじる、意識の低い男性から、離れることができないでいるのだ。
女のコミュニティでしか生きることができない男
新木流星のことを少し突き詰めて考えてみる。
自分が場を支配する権利を持っていると言わんばかりのクラスの中心人物的態度だが、それはここでは彼が黒一点ポジションだからだ。男子が複数いるところでは脇役に甘んじるが、女に囲まれたこの教室では「俺男一人だからさー」とぶつくさ言いながら、妙に居心地良さそうにのびのび振る舞っていた。
わざわざ女性ばかりのゼミを選び、男性アイドルを推したりしている。公私共に、彼が女性中心のコミュニティでしか生きていないことがわかる。
男中心の世界では自分がイニシアチブを取ることができないため、女のコミュニティに入って絶対的安心感を得る。
そして嗜虐心をそそられる瀬戸杏奈をイジって自分を保っている。
作者はこれをジェンダーの問題として提起したいようだけど、これって男女差関係あるのかな。同じように所謂オタサーの姫のように男性ばかりのコミュニティでしか生きれない女性もいる。
結局、瀬戸杏奈が新木流星の被害者というのは違うんじゃないだろうか。結局ふたりは似たもの同士な感じがするのだ。
瀬戸杏奈が新木流星とつるむのは、女同士だと自分のままならなさを直視せざるを得ないからで、逃避を許してはくれないからじゃないのかな、と私は考える。
だって女の子はメイクにもファッションにも敏感じゃん。自分にはお金がないから、彼女たちと同じように気合いを入れられない。その辛さが身に染みる。
で、結局瀬戸杏奈はどうしたらいいんだろうか。手枷足枷をはめられて、現実と理想の中でもがいている。
やっぱり、答えはマリリン・モンローの中にあるのだ。 ③に続く。