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無視されること、無視することについて。

職場での無視について考えた

私の職場にあらゆる人から絶対的に信用されている男性社員がいる。圧倒的影響力がある。インフルエンサー的な人気のある人だ。

私は彼について、常に懐疑的だった。
まず、病的な八方美人であること。

自分の評価を高くするためには、平気で他人を落とす発言をする。嘘も平気でつく。
なので、私は1ミリもコイツを信用していない。

まあ、そういう気持ちが態度に出ているのだろう。なにか関わろうとする時には全力で拒否してきたのだ。

それでも、基本的人権はすべての人にあるわけだから、挨拶程度はしていたけれど、ある日を境に挨拶をしても、彼は私を無視してきたのだった。

まぁ、いいや。

挨拶はされるものではなくてするものだし、別にいいや。無視するということは、私のことなどどうでもいいのだ。

だから、挨拶などしなくてもいっか。

嫌いな人間に挨拶をしなくてもいいなんて、一石二鳥である。私は持ち前のポジティブ精神でいいように捉えて、彼に全く挨拶をしなくなったのだ。

……
……

ところが、ある日上司に彼の事を無視するのはやめなさい!と、直々に注意を受けたのだった。理不尽極まりない。

しかし、いくらこちらから無視されているとはいえ、無視し返す、というのは私もいささか幼稚だなと思ったのだ。そこは素直に反省した。

私は、ちゃんと彼に挨拶をするようになった。
しかし、相変わらず彼は私を無視したままなのであった。


なんなんだろう、これは。


怒りがこみあげるとか、理不尽とか、精神的苦痛とか、そういうのを通り越して、こういう平気で人を無視する人間がいるんだ。と、なぜか納得をしてしまったのだ。

なんでだろう?あ、そうか

私は、この職場で彼の事を崇め奉っていない、たった1人の人間だから。

そうか、自分を崇めてくれない私のことが憎いので、排除するためにいじめを行なっているのか。なるほど。

私は、心当たりがないわけではなかった。

たぶん、私と同じ事ををやられている人が何人かいたはずなのだ。そういえば、○○さんも、辞め方がおかしかったしなぁ。


私はそのとき、彼の事をいい大人になっても平気で人をいじめることができる人間だと理解したのである。

ここで退職したり、異動するということは、彼をまともな人間だと認める行為になる。

そうか、ここで怒りを抱えたり、苦しみを抱えたら、彼をまともな人間だと認めることになってしまうのだ。

挙句のはてに一度罠に嵌ってしまった。

無視する人間というのはそうなのだ。


自分の正しさを認めない人間を敵とみなす。
そして、他人を変えられないということが、理解できない。

もちろん、私と同じ目に遭ってしまって、心を痛めた人は、退職してもいいし、異動したっていいですよ。自分の心を守るのが、最も大事な行為だから。他人はあくまで他人。自分のことが世界で最も大切だから。

結局のところ、心の醜い人間は、自立している、自分の意見を確立できている人間を、直視することができない。

だから、人として認める事ができずに無視をするのだ。

もし、この記事を見ているあなたが、人に無視されて傷ついているとしたら……。
それはあなたが自立した、自分で物事を考えることができる気高い魂をもっていることの証明なんだ。

自分のことは気高いとは思っていないけど、どうしようもない最低の人間にシカトされた。これほど勇気を与えてくれる事ってあるだろうか。

よかった、私は彼に仲間だと認められなくて。
それだけで私は生きていられる。

さあ、仕事がんばろ。
無視されて、癒されるというそういうケースだって、たまにはある。

なので、職場や学校で無視されたあなたは、気高くてすごい人なのだ。ラッキーです!
ともにクズから無視される人間になりましょう。 

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