そんな声が聞こえた。 人の人生を生きてきて、自分のことを全く考えてこなかった。 それだけ、人に依存して、やってもらいたかったし、責任取って貰いたかった。 いつも、苦しい感じが拭えなかったり、体調不良が続くのは、人の人生を生きていて、もういい加減ににしろって自分からの合図だったのかもしれない。 親に喜んでもらえるように、 周りの人の期待に応えられるように、 私だって出来るんだって見返したい。 でも、結局何も結果を出せなかった 誰かの承認を得るための選択って、うまくい
1、他人を優先しすぎて、自分を優しくしてこなかった。 今月、カウンセリングを受けて、人のために頑張るから自分のために頑張るということで自分と向き合ってきました。 最近、思い出すのは、高校受験の時も自分のために頑張っていたのではなくて、母親のために祖母を見返してやるという攻撃から頑張っていました。 だから、第一志望の高校に合格したときは、自分の達成感や喜びや感動よりも虚しさや虚無感が残っていました。 どこか、自分の人生の中では、「人を見返したい」意図が強くあって、誰かのための
1、思考「やらなきゃ」心「やりたくない」から動けなくなってしまった。 「やななくちゃとは思っているのですが、動けないんです!」 これは、私が8,9月に主に感じて、心もズレて体調不良に陥りました。 【思考】やらなくちゃ 【心】やりたくない 本質的には、目標やゴールを求めていませんでした。 ・自分にムチを打って、努力と根性で頑張ろうとする ・がむしゃらに頑張る ・無理して我慢している ・我慢して嫌なことをやっている 【ゴール】頑張ることが目的になっている 本質的なゴールは「
頑張れって応援されるとなぜイラっとしていたのか?10月11日、久々にフラクタル心理学のカウンセリングを、電話で受けました。 対面のカウンセリングだと受けるまでに期間が空いてしまうので、電話で受けました。 【相談内容】 【父】 1、振り込め詐欺に遭ってしまい、100万円近く振り込んでしまった。 2、祖母が4月に亡くなり、相続で叔母と揉めている。 【私】 ※頑張っては疲れてやめてしまう。 1、会社ペースに合わせられない。なかなか成果が上がらない。飛び込み営業は1年続けて辞め