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呪いのビデオと缶コーヒー

大変なことに気がついた。

僕はよく頭の中で想像をする。何気ないとき、暇つぶしにするというよりはふと頭の中に現れる。そんなやつだ。お天気野郎といえばその通りだし、暇人と言えば返す言葉がない。雑文、駄文極まりないが、お忙しいであろうあなたもお時間があれば聞いてほしい。


今日ふと脳内を駆け巡ったお題がこれだ。
「もし呪いのビデオが回ってきて、見たとしたらどうしよう」だ。

馬鹿にすることなかれ。これは大きな問題だ。



呪いのビデオとはジャパニーズホラーの決定版となったあの名作リングに出てくるあれだ。井戸から出てきてテレビに近づいたかと思えばニュッと出てくるのだ。


当時、リング旋風が巻きおこり日本中に衝撃が走った。一度くらいはもし自分にそのビデオが回ってきたらと想像した人は僕以外にも多数いるはずだ。


時代とは移り変わるもの。これは抗いようがない。
作品である映画や音楽は当時の時代背景を端的に表す。
尾崎豊の「15の夜」では缶コーヒーを100円玉で買える温もりと表現している。再放送のドラマのワンシーンに出てくる公衆電話は随分と減った。
缶コーヒーに関して言えばとっくの昔に100円では買えなくなった。平成30年の現在では来年には消費税増税のためさらに140円で買える温もりになる見通しだ。


今身近にあるもの、携帯電話やスマホも時代を超えれば死語となる日が来てもおかしくない。
だから作品を書くとき、例えば曲、はたまたこのようなエッセイに関しても何年先までナマモノとして成り立つだろうかを考えながら言葉を選ぶようにしている。もちろん当時の背景が分かる100円玉という表現も素敵なのだけれど、出来るだけ息の長い言葉を選びたい。



話を戻す。

今問題となっているのは表現がどうとか、そんなウンチクめいたことではない。
もし、呪いのビデオが回ってきて、見たとしたらどうしようということだ。
呪いのビデオのルールを今一度おさらいする。
呪いのビデオを見たら一週間以内に他の誰かに見せないと自分に呪いがかかり死んでしまうという恐ろしいやつだ。なので呪いを回避するためにどうにかしてダビングをして申し訳ないと思いながらも誰かに見せなければならない。

しかし、よく考えてみるといい。平成の終わりとなる今、いったいどの家庭にVHSがあるというのか。ビデオを見たところで回せる相手がいない。それも相手にそれと分からぬように見せなければいけない呪いのビデオだ。これはなかなかのハードルではないか。


だが一週間という期限が迫っている。これはどうにかしなければいけない。
そこで僕が思いついた方法はこれだ。
まず、カメラのキタムラに行って、VHSからDVDにダビングをしてもらう。
そしてDVDを友人に渡すというやつだ。しかし、DVDを渡したところで本当に見たかどうかは分からない。
なので、DVDをデータにしてその映像をLINEで送るとしよう。LINEなら既読がつくから見たという判断ができる。しかし、もし冒頭のシーンで勘づいて停止を押されるという可能性も否定できない。
冒頭のシーンだけでは呪いの効果が弱くて自分が死んでしまうかも知れない。



ではどうすればいいか。

一つの結論がでた。
それは動画投稿サイトに投稿するということだ。そうすれば再生回数が分かるし、離脱時間も分かる。これで一安心だ。いや待てよ、呪いのビデオはひょっとしたらビデオからビデオというルールがあるかも知れない。だから念には念を打って一週間ギリギリまで僕は誰かにビデオを見せるように努力するだろう。


あなたならどうするだろうか。

また時々想像のお話をします。ぜひお付き合いを。

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