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「名前のない星」戯曲賞 設立への道③

 この世の中には数多の賞があります。

 僕が公募の「賞」に応募をはじめて二十数年が経ちますが、その間に小説の公募賞は驚くほど増えました。

 当たり前の話ですが公募賞は増えれば増えるほど、多様性が増します。
 それと同時にカテゴリーエラーによる落選が発生しやすくなるという弊害もあります(例えば女性向け恋愛小説を求めている賞に熱血バトルものを送っても受賞できない)。

 ただ、これは些細な問題にすぎないと思っています。
 例えば公募の賞がふたつしかない場合、ほぼ全てのジャンルの作品がそのふたつの賞に集中します。

「優れた作品はジャンルなど関係ない」というのは幻想でしかなく、賞にはある種のフィルターが存在して、そのフィルターでふるい分けられた作品しか受賞できないのが現実です。

 簡単に言うと、賞が少ないと作品が偏っていくのです。

 したがって、大前提として公募の賞は多いほうが、その業界にとってプラスになるというのが僕の考えです。

 戯曲賞の現状はどうでしょうか。

 僕が公募をはじめた二十数年間でまったく増えていません。むしろ減ったぐらいです。 
 
 賞の種類についても考えてみましょう。 
 出版社が主催する小説の賞は作家デビューするための、プロになるための登竜門です。

 今、小説は完全に持ち込みを禁止し、新人賞でしか受け付けてくれなくなりました。
 僕も何度か持ち込みを試みたことがありますが、門前払いを食らいました。小説においての賞のほとんどはデビューするための「門」として機能しています。
 小説において出版社主催ではない賞は、実力試しと賞金狙いで出すものだと言われています。おおむねその認識で正しいと思います。
 
 では、今ある公募戯曲賞はどの様な位置づけのものがあるのでしょうか。

 現在、公募戯曲賞は数えるほどしかありません。

 その中でプロになるための登竜門として機能している戯曲賞はありません。
 では戯曲賞は、実力試しと賞金稼ぎとしての賞しかないのか。

 これにも僕は疑問を感じています。
 なぜなら現在の戯曲賞においては、小説の賞よりも選考に対しての公平さが欠けていると思っているからです。

 戯曲賞には「活動経歴」や「活動場所」を明記する欄があります。
 欄があるということはそれが選考に影響しているということです。

 僕は二十代のころ、関西で戯曲講座を受けたとき、そこで戯曲賞の裏側について講師が語ってくれました。
 そこでは、「演劇活動を続けていきそうな人に賞をあげる」「頑張ってほしい(知り合いの)劇団に賞をあげる」というのが戯曲賞の目的のひとつであると明言していました。

 今でもこの感覚はあると思います。

 僕は今の演劇の問題点のひとつとして、「既存の劇作家」しか評価しなくなったことが大きな原因のひとつだと思っています。

 この事は新劇劇団が大劇作家亡きあと、運命共同体としての劇作家不在のまま来てしまったことと、歴史的には因果関係があると思っています。
 
「継続性って必要なのか?」
 僕はここに疑問を感じずにはいられません。
 継続性を過度に重視した結果、パワハラモンスターを生み出したとも考えています。
 
 選考方法について考えてみます。
 これは「賞」のあり方の変容と多様性に大きく関係しています。
 
 最近ではかなり知られていることですが、出版社主催の小説賞の下読みは新人作家がやっています。これはまだ貧乏な新人作家に仕事を与える、という側面もあります。

 下読みを通過した作品を編集者が読み、最終選考に残った作品を審査員(大御所作家たち)が読みます。
 
 分かり易く解説します。
 新人が下読み→技術的に明らかに劣っているものをふるい分ける
 編集者による選考→商業的に成立するものを残す
 最終的に権威を持つ人が選ぶ。
 それぞれの選考過程で落とされる基準が違うのです。
 
 これがネット系小説賞になると変わってきます。
 ネット系小説賞は原則、読者が審査員です。もちろん最終的な判断に編集者や作家も関りますが、圧倒的に読者の支持を得ているかどうかが判断基準になります。
 ネット系小説賞において、「まったく読まれていないけど実は面白い」人が受賞することはありません。
 
 かつて公募賞は権威ある審査員によって選ばれるものでした。
これが最近ではかなり変わってきています。
 権威ある賞は、今でも確かに人気ですが、近年では評価軸を色んな場所においた賞が現れるようになりました。
 昨年は小説賞なのに「プロット」だけでいいという賞も複数創設されました。
 これは時代の流行の変化が早くなったことに対応するためです。
 
 応募数に目を向けてみましょう。

 現在、戯曲賞の応募総数はだいたい百五十作ほどです。 
 これって少なくないですか?
 僕はとても少ないと思っています。

 僕は戯曲賞の応募作品数は「演劇」に興味を持っている人の数と相関関係になっていると思っています。
 公募数は、その公募している媒体に対しての人気を測る指標になりえます。
 公募小説ではライトノベルの賞の応募数が多いですが(ネット系のぞく)、それはイコール読者数の多さと比例していると言えます(絶対ではない)。

 すなわち、戯曲賞を増やし、戯曲賞への応募者数が増えれば、そのまま演劇業界そのものも活性化すると、僕は信じています。
 少し暴言かもしれませんが、小説を書くより、戯曲を書く方がハードルは低いです。
 どちらも書く僕はそう感じています。僕は圧倒的に小説を書くほうが大変です。
 戯曲の方が劣っているということを言っているわけではありません。
 小説と戯曲、どちらにも優劣はありません。
 はじめて書く人にとって、戯曲のほうが取り掛かりやすいと思っているだけです。
 それなのに、なぜ戯曲賞の応募者数が少ないのか。
 それは現在ある戯曲賞に魅力がないのと、演劇に関心がない、のふたつが原因であると考えています。
そのうちのひとつ「戯曲賞に魅力がない」は、偏った作品しか選出されないからです。
 
 異物を受け入れられないメディアというのは衰退するしかない。僕はそう思っています。
 僕が企画している戯曲賞において、コンセプトとして重要だと思っていることのひとつは「演劇をしていない人もOK」ということです。
 戯曲以外の形式も受け付けることにしたのは、それが大きな理由です。

 もっともっと演劇に興味を持ってほしい。
 戯曲を書くということの敷居を下げたい。

 このふたつの思いが「名前のない星」戯曲賞には込められています。


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