メキシコ生活記録⑲ ー1年経って思うこと
2連続で長編エッセイを書いたので、今回はゆるゆるとメキシコ生活記録に戻ります。
というか、メリダに移住してから、早くも1年が経った!
めちゃくちゃ早かった気がする!
そう、また街中にフランボヤンの咲く季節が巡ってきたのだ。
去年の今頃、私たちは夫の帯同というかたちで、それまで縁もゆかりもなかったメリダに引っ越してきた。
↓ そのころの記録がこちら ↓
1年前、着いたばかりの頃は、
・海外こわい
・異物感すごい
の2本立てで暮らしていたらしい。
確かにそうだった。
たった1歩、家から出るのもこわかったし、チャイムにもいちいち震え上がっていた。街を歩いていても、自分の異物感がすごくて不安しかなかった。
でも、今は違う。
会えば挨拶をするご近所さんもいるし、守衛の人たちや配達のおじさんとも顔見知りになって、笑顔で手を振る毎日だから、家の外はまったくこわくない。ここの住宅地のセキュリティーの確かさも実感してきたから、多少玄関の鍵をかけ忘れていても全然慌てない。なんなら玄関ドアを開けっ放しにしているご近所さんもいるくらいだから。
それに、チャイムがこわいどころか、私は今や、約2週間もテディベアニキと過ごした猛者となっている。
学校へ行くのにも慣れてきた。クッパ城のように見えていた校舎も、今や勝手知ったる1-1(最初の面ね)みたいに歩き回れる。
もちろん、子どもたちも「学校に行きたくない」なんて泣くことはない。
それどころか、学年最終日に急な発熱で欠席しなければならなくなった2号は「学校に行きたい!」と大泣きしたほどだ。
学年末の面談でも「2号はちゃんとクラスの一員になっていましたよ」と先生に言ってもらえてうれしかった。
1号にも友達がたくさんできて、お友だちの家で一緒に課題をしたり、誕生日会にお呼ばれしたり、我が家でもお友だちを招いて1号の誕生会を開いたりもした。
優しいお友だちと先生に恵まれた初年度だった。
あと、免許を取って、自分で車移動できるようになったことも大きい。
私にとって「街に馴染む」ということは、「自分で車移動できる」っていうことと直結しているらしい。
だって、スーパーマーケットに1人で行けるから。スーパーで1人、買い物をして、自家用車に荷物を積み込む動きって、いかにも住民っていう感じがする。
それに、家と学校以外に、よく行く場所もできた。
毎週お茶会で訪れている語学学校だ。校長先生や、お茶会の亭主を務めてくれる方はじめ、ここには本当にお世話になっている。「自分の家だと思ってね」っていう校長の言葉には心から救われた。家以外にも自分の居場所があるって、こんなにも救われることなんだな、としみじみ思う。
そして、何よりも日本人のお友達が数人できたことが1番大きい。しかも、色んな偶然からいただいたご縁ばかりだ。みんな本当にいい方たちで、私は心底ラッキーだと思う。
困ったときに頼れる人が、夫の会社関係の方以外にもいるということが、暮らしの安心度を格段に上げている。
つまり、「私の友だち」「私の居場所」というものができたことで、海外はこわくなくなったし、自分は異物だ!とも感じなくなったのだ。
1号に、この1年で自分が変わったなと思うことはある?と聞いてみると、2つ教えてくれた。「英語が上達したこと」と、「他人の目を気にしなくなってきたこと」だ。
メキシコ人は、本当に他人の目を気にしない。これはどういうことなんだろう?と1号と分析してみた。
その結果、ここメリダには「同調圧力がない」ということに行き着いた。
つまり、他人の目を気にしないということは、他人を気遣わないとか、超個人主義、自分勝手とか、そういうことではない(そんなところもあるとは思うけど!笑)。むしろ、「ひとりひとり違う価値観をみんながそれぞれ尊重し合うことで、全員でハッピーになろう!」と思っているような気がする。
だって、例えば誰かの振る舞い、体型や服装を非難すれば、傷つく人が増えるよね。それに、それが違法な場合や他人に危害が及ぶ場合を除けば、ほどんどのことは個人の自由の範囲内でしょ。それなら、非難したりバカにして笑ったり、仲間外れにしたりするのは、不幸の総量を増やすだけだから、それは本来必要のない行為のはず。
だから、「みんなハッピー」に「同調圧力は必要ない」のだ。むしろ邪魔。なんかこれって、目からうろこだった。
「みんな違って みんないい」という金子みすずの言霊が、彼女の言った通りの意味で、ここでは生きている気がする。
2号にも同じ質問をしてみた。するとこちらも2つ答えてくれた。
「英語が上達したこと」と「クラスメイトに注意しなくなったこと」らしい。
日本の学校に通っているときは、先生の指示に従わない子やルール違反をする子に、2号はよく注意をしていて、そのことでケンカに発展したりもしていた。でも、メリダに来て、このクセがなくなってきたらしい。
理由を尋ねると、「こっちのクラスメイトは、いい感じにテキトーで、攻撃的じゃないから」だそうだ。攻撃的って何だよw、と思わず笑ってしまったが、確かに彼のクラスメイトには、おだやかで優しい子が多かった気がする。「いい感じにテキトー」っていうのがミソなんだろうな。
あと、校則がゆるくて学校自体が学生ひとりひとりの自由を尊重しているっていうのもあるかもしれない。まぁ、日本の学校では考えられないような楽しいアクティビティ(水鉄砲で遊ぶ日、パジャマを着てくる日、変な髪型でくる日、ぬいぐるみやクッションを持ち込んで読書をする日など)を、学校が企画してくれるくらいだしね。もちろん、小学校までだけど。
と、このように、彼らの価値観もいい感じに変わっていっているようだ。
で、最後に少し語学力について。
私の体感で言えば、海外帯同で、海外の学校に1年間通ったくらいで、英語は使えるようにはならない。
もちろん、ホームステイ先も外国人家族で24時間英語漬けだったり、めちゃくちゃレポートを書いたり、一緒に実験したりしないといけない学生生活を毎日送らざるを得ない状況だとかいうなら話は別かもしれない。
ただ、家に帰れば日本語が話せる環境で、ゆるくて楽しい学校へ通っているのなら、1年程度で使えるレベルにもっていくのは難しいと私は思う。
だって、今は優秀な翻訳アプリがあるから、英語の課題だってそれでこなせてしまうし、学校内で困ってもアプリで解決できてしまう。便利にはなったけど、英語を勉強しなくちゃ!という危機感は、昔に比べてかなりうすくなっていると思う。VPNをつなげば家でも日本の番組が見れる現代では、海外にいたとしても、それだけで自然に英語漬け状態になるとは限らないしね。
でも、それでもうちの子どもたちの英語力が向上したことは間違いない。
2号なんて、「英語が読める」ってムスカばりに泣いてたからね。
あと、3年でどれくらいのレベルにまで持っていけるか、それは個人の努力次第だな。もちろん私も含めだけど。
だから、1年やそこら海外で暮らしたからといって、自動的に英語が自由に使えるレベルにまでなるわけではないということを、ここにお伝えしておきます。
でも、そういう人も実際にいる。私が思うにそういう人たちって、生まれつき耳がいい(例えば一回聞いただけでその歌が歌える人っているじゃない?)か、ちゃんとした文法の知識と、かなりの語彙力をもともと習得してた人なんじゃないだろうか。だから、そのどちらかに当てはまる人は、ワンチャン丸腰で海外移住もアリだと思う。
ちなみに、我が家にはどちらの種類の人間もいない。だから、アウトプットに恵まれた今の環境を最大限利用して、努力を続けるしかないのだ。
ということで、「気軽に会えるメキシコ人の友だちを作る」ことを、来年1年の私の個人目標として、私たちの大冒険初年度を締めくくりたいと思います。
さ、もうすぐ一時帰国だ!
ユカテコ(ユカタン州の人)に馴染んだ私たちに、久しぶりの日本はどう映るのか!?
また、一時帰国を経て、メリダに戻ってきたときに、何を感じるのか!?
ちょっと先の自分が楽しみだなんて、有難いことだ。
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