MBTIへの違和感
MBTIという性格診断テストを聞いたことがあるだろうか。ユングのタイプ論をもとにした外向型-内向型、感覚型-直観型、思考型-感情型、判断型-認知型の4つの指標に分け、16の性格類型に分類するパーソナリティ診断である。
心理学の世界におけるパーソナリティ理論
心理学の世界では、パーソナリティ理論が大きく2つに分かれる。個人をどこかのグループに振り分ける「類型論」と、個人の特性要素に焦点をあて組み合わせや強度をみる「特性論」に分かれるという。心理学を少し勉強しただけの私では正しく説明しきれないが、どちらの理論にも長所と短所がある。「類型論」は、比較的簡単にどこかのパーソナリティグループに振り分けられるため、直感的な把握がしやすい。一方、グループに当てはまらない部分を見逃してしまう問題もある。「特性論」は個々人のパーソナリティを細かく把握できるが、全体像が見えず活用が難しい点がある。
そしてMBTIはより直感的で分かりやすい「類型論」から派生したと考えられるパーソナリティ診断であり、さらに気軽に遊び感覚で診断ができる「16Personalities」というサービスが人気を博している。
16Personalitiesの魅力
さて、ここからは私の見解だ。
私の周りでは2020年頃から韓国カルチャー好きの間で流行りはじめ、現在は周りの同世代の友人達の多くがこのサイトを知っていて試したことがあるという印象だ。誰もが16タイプのどこかに分類され、タイプごとの特徴や傾向、相性などのあふれるほどの情報が転がっているから、友人同士での会話もそれは盛り上がる。「あの有名人と一緒のタイプだった」「私の適職は○○らしい」など、お互いを知る会話としても面白い。
16Personalitiesへの深入り
私は元々「心理テスト」という類が大好きで、MBTIについてもすっかりとハマった。英語や韓国語の情報サイトまで見るようになり、一種の自己分析のように考え楽しんでいたように思う。同じタイプの適性や強み・弱みなどを調べては「当たっている」あるいは「なるほど、自分はそうなのか」とまるで1/16のタイプが自分全てであるかのように感じた。振り返ると、当時は無意識的に自分を1つのMBTIタイプに寄せていっていたかもしれない。
特に、自己肯定感が下がっている時は、「自分がこのタイプだ」ということにすがりたくなる気分があった。一種の心理的な逃げ場にもなっていた。
一方で、自分のことだけでなく、人のこともMBTIを通してみてしまうことがあった。例えば、ある人のタイプが「○○○○」と聞くあるいは判断すると、「あのタイプだからこう行動するはず」だとか、「私とは性格が合わないはず」など大変失礼なレッテルを貼る時があった。そして、その時は特に失礼なことをしているつもりがなかった。
MBTIの話は気軽に、そして慎重に
今振り返っても、この診断を自己や仲間の理解の「参考」にすることは有意義だし楽しいと思う。ただ、深入りすると結構危険で厄介だ。
当たり前に誰も16タイプの一つに完全にハマるわけがないし、同じタイプと診断が出た相手がいても理解できない部分があるだろう。人へのラベル付けはその人らしさを決まった枠の中に収めてしまうことにもなりかねない。これはもったいないことだ。
私は今でもMBTI関連の話題は興味深いし、コンテンツも楽しんでいる。ただ、「このタイプが自分だ」という見方はしないし、人と話す時もタイプを当てたり、分析するようなことはしない。これからはもっと気軽に、そして慎重に楽しんでいきたい。