わたしが好きならそれでいい
春になり、あちこちで綺麗な花が目を楽しませてくれている。
梅、桃、木瓜(ぼけ)などなど、木に咲く花が好きだ。今は、桜が満開でうっとりするほどだが、桜以上に好きなのが木蓮の花だ。
10代の頃、春の入り口くらいの肌寒い日、見上げるほどのどっしりとした木に、真っ白な花を可憐に咲かせている木蓮をみたとき、一目惚れしてしまったのだ。それからというもの、いつか白木蓮と赤木蓮を庭に植えたいと夢見ているほどだ。
しかし、一緒に暮らす母は、木蓮が嫌いだ。枯れた時に、大きな花が落ちてくるのが嫌いなのだそうだ。
母から初めてそれを聞いた時、「木蓮が好きだ」という言葉を飲み込んでしまってから、40歳を超える最近まで、口にしたことはなかった。なんとなく、言ってはいけないと思い込んでしまったからだ。母が嫌いだというものは、ついなんとなく避けて生きてきた。わたしが好きになったものは、どうしても意識に上がるし、目で追ってしまうのは自然なことなのに、表現することを自分自身が禁じていたのだ。
今年初めて、満開の木蓮を目にした時、後部座席に乗っている母に「わたしね、木蓮が好きなんだ」とおもわず口にした。あまりに自然に出た言葉に、自分自身が驚いたが、ひんやりした風とポカポカのお日様の光が、「まぁいいか・・・」と気持ちを中和してくれた。
わたしが好きだと思うことが、必ずしも好きな人と一緒なわけではなく、それは至って自然なことなんだと感じた春の日。
わたしが好きなら、それでいいんだね。