Oasis2024年再結成.青春のバンド.オアシス愛を語りたい 90年代UKバンドの頂点
90年代UKロックの頂点のバンド
オアシスが再結成した。
再結成はまあするだろうなと解散当時思っていたが、まさか15年後だった。
概要はこれ Wikipedia出典
オアシス(Oasis)は、イギリスのロックバンド。1991年結成。2009年解散。2024年再結成。
メイン・ソングライターの兄ノエル・ギャラガーとボーカルの弟リアム・ギャラガーのギャラガー兄弟を中心に1991年に結成され、全世界でのトータルセールスは7,000万枚以上を記録している。
スタジオ・アルバム
1994年 - オアシス (Definitely Maybe)
1995年 - モーニング・グローリー (〈What's the Story〉Morning Glory?)
1997年 - ビィ・ヒア・ナウ (Be Here Now)
2000年 - スタンディング・オン・ザ・ショルダー・オブ・ジャイアンツ(Standing on the Shoulder of Giants)
2002年 - ヒーザン・ケミストリー (Heathen Chemistry)
2005年 - ドント・ビリーヴ・ザ・トゥルース (Don't Believe the Truth)
2008年 - ディグ・アウト・ユア・ソウル (Dig Out Your Soul)
ライブ・アルバム
2000年 - ファミリアー・トゥ・ミリオンズ(Familiar to Millions)
コンピレーション・アルバム
1998年 - ザ・マスタープラン (The Masterplan) - シングルB面曲のベスト・アルバム
2006年 - ストップ・ザ・クロックス (Stop the Clocks) - シングルA面曲(一部B面曲)のベスト・アルバム
2010年 - タイム・フライズ…1994-2009 (Time Flies... 1994-2009) - シングルA面曲の全集
オアシスのおおよその活動期間はファーストアルバム発表の1994年から2009年になる。
ファーストで認知され、セカンドが爆発的ヒット、サードアルバムが第一次キャリアピークで、
セカンド、サード(95-97年)時期は空前の一大UKバンドムーブメント、ブリットポップブームだった。
第一次黄金期メンバー(セカンド、サード期)
その後の喧嘩で初期メンバーは兄弟以外脱退。
オアシスって別に初期メンバーが演奏が上手いとかは無く、オリジナルメンバー待望論が珍しくこのバンドは無い。兄弟2人が中心のバンド。メンバー脱退、過渡期の4.5.枚目はUKムーブメントも終わり、解散するかどうかのキャリア低迷期だった、2005年の6枚目から徐々に復活、2008年のラストアルバムで第二次キャリアピークだと思っている。特にラストアルバムは新しいオアシスを見れた様でこの先が見たかった。
まさかこんなに再結成が長くなるとは思っていなかった。15年になる。
僕が最初にオアシスを認知したのは2005年くらいに廃刊になった洋楽雑誌クロスビートの表紙だった。
日本公演をしていた。
洋楽名盤100選に名盤中の名盤セカンドアルバムが載っており、初めて聴いたときで衝撃を受けた。
殆どの人はファーストかセカンドが好きだと言うはず。
そこから当時流行っていた海外サイトで
どこかのライブ音源が聴ける、ブートレグ(海賊版)などもありどハマりして殆どを聞いていた。日本公演もあった。(もう確実に聴かないと思い消した)
確か2002年福岡公演ではリアムが途中で降りてノエルが数曲演奏後、公演は終了と主催者からアナウンスがあり、怒号を音声で聴いていた。
今だとYouTubeで鮮明な動画が流れているんだろうなあ。
90年代後半、2000年代の音楽雑誌クロスビート、ロックキングオンの古いバックナンバーも当時のブックオフには売っていてそれを買ってオアシスのインタビューを読みふけっていた。
ネットが発達していない唯一の洋楽ロック情報源。ファッキンばっか書かれていた。数年後、半年以内の雑誌だけ買取になり古い洋楽雑誌はもはや買えなくなった。
当時のライターの人が書いてる文書で
97年フジロックとかそこら辺の文書は熱量があり本当に面白かった。
ブリットポップ時代のバンド同士のアルバム視聴会掲載記事は今でも覚えている。
エラスティカのボーカルが当時リリースされたばかりのサウンドガーデンの名曲ブラックホールサンを絶賛していたが、ノエルはとりあえずクソだと言っていた。
ほぼほぼビートルズとストーンローゼズ以外この人酷評するじゃねぇかと幼いながら思っていた。
とりあえずヤバい兄弟。
その当時の若手バンドがみんな売れているシーンは楽しかったんだろうなと想像していた。
ブラー、オアシス、エラスティカ、スーパーグラス、ザヴァーヴ、スウェード、プロディジー、プライマルスクリーム、レディオヘッド、
ノエルはゴールディーとコラボ曲も出していた。
バンドブームが終わったからか、売れなくなったのかある程度のバンドは2000年くらいには消えていった。
話は戻り、97年発表サードアルバムのライナーノーツは当時の一大ムーブメントブリットポップのピーク時で、とんでもないアルバムだ!とライターの人が絶賛していた。それが今見ると面白い。
ただこのアルバムは4分でいい曲が8分など無駄に長すぎてその後UKでは酷評されていく。
別に編集者が良い感性を持っているとかはマジで無く、聴いた人が個人的に好きであればそのアルバムは良いアルバムと思っている。
2009年の解散ではすぐに再結成すると思っていた。98年、2000年くらいにも解散危機があり、当時の雑誌クロスビートにも解散と書かれていた。おそらく数日とかで撤回している。なので時期復活すると楽観的に思っていた。
ただ10年経っても再結成しなかった、僕はラストツアー当時学生だったので行きたいけど金欠、ソロで行くにしても夜行バスなど知らず、交通が分からないので諦めた。
アルバムは全て持っていたのに。
それが心残りだった。
解散後、弟リアムのビーディーアイもそんなに好きでは無く、ノエルのMステ登場も見たが僕はオアシスが見たかった。
オアシスなら低迷期の4枚目アルバムもガスパニックという曲はブームが終わって暗めな曲調で好きで、
キャリアピークの1996年ネバワースライブに遠く及ばなくても次の来日なら確実に行っていた。
1.2.3.枚目はどうやっても名盤で2枚目は一生聴いてられる。3枚目は短縮バージョンがあれば良いが、
90年代後半の世代の中心、イケイケの空気感をそのままパッケージされている。
狂おしいほど好きだった。
ホントに聴いてない人はセカンドから聴いて欲しい。日本での人気も4枚目ごろは別に落ちていなく、当時のクロスビート来日インタビューで3枚目の曲スタンドバイミーが日本人好きな曲アンケート結果一位でイギリスでは失敗と言われたサードからの選出でノエルが謎がってた。
当時流行っていた漫画BECKにオアシスのジャケット模写が描かれるなど、UKロックの頂点はオアシスだった。
ラストアルバムは発売日に買い、ベスト版も買った。ワンダウォール、ドントルックバックインアンガー、ホワットエバー、リブフォーエバー、
本当に日本ツアーに行きたかった。
2人がまだ元気なのが珍しいし、ロックスターも近年亡くなっている人も多い。
いつか来日公演をして欲しい。
僕は待っている。
芸人永野がこの当時の思い出をYouTubeで語っていて分かりやすいです。
ブラーオアシス、ブリットポップブームとはなんだったのか
97年オアシス3枚目の話