「僕らは自由を謳歌できるほど優秀ではない」を観て【西野亮廣さん】
コロナで社会が激変したことはもはや言うまでもない。
そんな時、とあるYouTubeを観ているとハッとさせられた動画あった。
それに対する感想文。
□要約
人間は弱く、自由がありすぎてもその空白に苦しむ。逆も然り自由がなくても苦しい。「思考停止」と「思考常態」のバランスが取れていないと効率的に動けない。過ぎたるは及ばざるが如し。
西野さん曰く、昨今のコロナ禍で日常が激変した。具体的には仕事で忙殺されていた日々から、自宅待機によって解放されたのだ。しかし、どうやら僕たちは解く問題がないとまともに立ってられない。つまり、ある程度のストレス(抵抗感のあること)がないと、右も左もわからなくなるのだ。それゆえに解放された人々は、ありあまる空白を自ら埋めることができずに右往左往してしまう。
他方、「問題」を自作することは一筋縄にはいかない。
この0→1の作業は想像以上に難しく、一朝一夕では無理だ。
なので、せめて「問題」まではいかないが「ルーティン」を作りこなしていくことがこの右往左往を防ぐことができる方法である。
例えば、毎日何かひとつでも課題を設置すること。具体的には、100文字くらいの日記を書くだったり、朝は決まった時間に起きるといったことだ。この課題をひとつひとつ設定して、後は没頭する。この営みが重要である。
今日は何しようかな。では長続きしない。なぜなら、やることをその日に考えていては、その思考に時間や脳のリソースを割いてしまうからだ。それゆえ、課題の設置は簡単なものでも良いのでとにかく設置していくこと。それによって、没頭時間が増え、上記したような良い意味での「思考停止」時間を作ることができるのだ。
加えて、没頭していると不思議なことに、考えようと頭を悩ませている時よりもクリエイティブなアイディアが出てくるものである。これは想像でしかないが、作業しながら考えることで思考も活性化するのかもしれない。
それゆえ、課題の設定・作業への没頭の反復こそが効率的な「自由」の過ごし方になるのである。
自由とは履き違えると、ただの空白の時間になりかねない。
そこで、そんな空白に抵抗するために、我々が行うべきことは
・ほどよく自由を制限すること
・課題を設置し、それに没頭する時間を作ること
・ルーティン化すること
以上を行うことで、果てなく思われる自由という「空白」をうまく埋めることができるのではないか。
ルーティン、つまり習慣を獲得できれば、実りのある「思考停止」を行いかつ、「思考常態」に苦しむこともなくなる。
この反復は、自分の脳ミソにさえも苛まされるほどに弱い、我々人間のささやかな生存戦略になりうることだろう。
最後に、もし興味があれば実際の動画のリンクを貼るので是非ご覧になっていただきたい。かなり拡大解釈しているかもしれないが、それは個人差と言うご愛敬と言うことで容赦いただきたい。
以上。
YouTube:《僕らは自由を謳歌できるほど優秀ではない》
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