HSPの私からアダルトチルドレンを解放する作業|他人軸
うむ。HSPが問題だったか振り返ると、アダルトチルドレンになってしまってその原因にHSPの要素が強く反応したというのが近そうだ。
おさらいとして、アダルトチルトレンは医学的に正式名称ではなく、アルコール依存症の親の子供というのがもともとの語源である。
母はアル中だったな。酒を飲んだ時だけひどい人だと思ったけど、すでに1番のいやな思い出というと、小学生の時に誕生日に母にミニサボテンをプレゼントした。その夜、母は酔っ払っていて、めちゃくちゃになじられた。意味不明である。「なんだこのサボテンは、愛がない、頭がおかしい」などであったように思う。数ヶ月して、突如サボテンに気づき、「なに?この可愛いサボテンどうしたの?」である。「あなたの誕生日に私が選んであげたんだよ」などと言う言葉はもう出てこなかった。
こんなの繰り返しだったんだよね。
さて、本に謎らって、自分のAC度を謎らってみよう。
嫌われないための選択
まぁ、これ一択だった幼少期。
「八方美人」「誰にでもいい顔をする」は確かだな。
「好かれるため」ではなく、「嫌われる」ためにしている。
意味がわからない。
が、自分が得をするためにしているわけではないから、相手に八方美人とか言われると傷つくらしい。
これはASDを知ってから、思ったが、「Aにいうこと」と「Bにいうこと」が違う場合問題が起こるが、HSPがわからとすると、AとBの親しさがまず違う。Aとの間柄なら「ここまで」わかるが、Bとの間柄では「理解されない」だろうと言う点で違いが出たりする。私はそれを八方美人とは言わない。が、親しくないBに対して否定的、過度な言葉で表現した場合は、自分の落ち度だと思っている。
ASDの場合は同じように人見知りはあっても、距離感に対しての配慮がないので、上記のようなことが起こっていた。のだ。
誰かのために動かない時があっていい
自分がイライラしない程度のご奉仕ね。
防御のために攻撃的になる人もいる
私はこれが本当に根強い。だれか守ってって小さい頃心の中で叫んでいたのを思い出した。今は自分が自分を守っている。とはいえ、状況的に不利になることが多い。それは、上記の八方美人で親しくない人に「NO」といえない状況だと今気づいた。
一緒にいると苦しくなるのは、自分が傷付けられているサイン
これもASDを知って理解が深まったな。巷では「悪気のない人」は許すが一般的だが、ASDの横にいて「悪気のない」のオンパレードである。こんなこと許し続けていたら、こっちの身が持たない。
相手がいい人かどうかは関係なく、物理的距離を取るべし。
自分軸で生きることは、「自己中」や「わがまま」と違う
世界中のACのみなさん!ここ本とに重要ですよ‼︎!
というか、自分の防衛反応からの拒否でわがままに取られていて、そもそも、自分の自由意志で拒否していたわけでないことがわかった。じっくり構えて「私は今どう思っているかな」という自問する時間すら家庭環境で奪われたのだった。そりゃ、「自分軸で生きる=自己中でわがまま」という植え付けされちゃうよな。
今日もいい発見がありました。