HSPとグレーゾンを両方調べて「人」というものがちょっとみえてきた。

ここで出会った人で発達障害の親にあった。お子さんふたりともASD判定をされていたとあとあと聞いたけど、いままであったことがないくらい凛として明るい人だった。

子供たちのとんでぱっぷんなエピソードを聞いて「うちの子やばいの」と笑って話してくれた。

その話だけ聞いた私は変わってるけど、おもしろいなと率直に感じた。ま、確かに学校でやらかす事件が多かったから、親としては呼び出しなどあって「世間体」としては折り合いや対応が大変だったろうなとは思ったけど。

また、他の案件と違って、ダントツに頭のいいお子さん2人だったというのはある。

なにより現在ふたりともとんでもなく優秀なのに高校中退後立派に職を手に(しかも職業的に世間から聞いたらすごい!っていわれそうな職)着いている。

私がはじめて意識して聞いた
ちょっとではなく、大きな態度に出るタイプ(尊大型)
(学力が高いタイプで、学校では教師からの信望が厚かったり、仕事である程度の地位に着くこともある。
家庭内でのみ内弁慶となり、家族に対してのみ尊大型として振舞うこともある。)だった。

タイプも一択だとすがすがしい。HSPもグレーゾーンも混合型が生きにくいのでは?と最近思うばかりだ。

知能が高いから、(たぶんまわりがバカに見えるんだろうな)態度がでかくなる。わかるかわる。もっとすごいのは、本当に頭がいいから論破できるというもの。しかもプラスして、感情論で動かずロジカルにできるところが彼らの「最高の特性」だと思える。

もしも、ASD孤独型のように「周囲に関心が薄く、コミュニケーションが取りづらい」「人と接しない事に安心感がある」という特性があれば、「孤独」感からストレスはないし、コミュニケーションも知能の高さから余裕でフォローできるのでは?と本当に羨ましく思う。

HSPとグレーゾンを数年かかりで両方調べた私の感想だ。

が、その発達障害の親は、絶対普通の人にはグレーゾンは理解できないとさらっとふわっと切り離すように言った。

こんだけグレーゾーンの親に苦しめられた自分からするとこの言葉は衝撃の衝撃だった。

誰かが悪い時に発達障害だといって責めたら、「発達障害だということでいじめをしている」と疑われたのはこの21世紀でもここ最近の話した。
そうゆう特性があるから、その言い方ではあいまいで通じない。それくらいはわかる。でも、グレーゾーンの認識のない人から見たらただだらしない人というだけなのだろう。

それも今ならわかる。「+本人の前後の言い分の辻褄があってない。すでにん周知の状況で言ってないことで嘘の状況になっている」これが私のはんん段基準だ。これもHSPだから気づくんだな。とちょっとHSPが煩わしく思う。

私たちHSPは、極度に辻褄のあっていないこと、ひみつぎにすることが嫌いだ。がこれも自分のプライベートまでペラペラ話すように度を超えてなるとACに近い。相反した存在でASDの積極的に関わるタイプ(積極奇異型)に人てくる。

線の相反したところにHSPとASDはいて、見えている「症状」「言動」は似てくる。非常に興味深い。

というかここ田舎にいるからその特質がありありと見えてきたにすぎない。東京にいたら、多様な経験からもっと「個性」を獲得していてわかりづらいのかもしれない(馴染んんでいる、適応できるエリアにしかいかない、問題として取り上げんいくい=問題にならない)。東京隠れ蓑説がありそうだ。やはりライフスタイルの多様化が、ASDにあったものも選べる環境、職業、作業があるとも言えそうだ。

それは、彼らが自身を知っている(意識、無意識、認定などから)上で、多少の経済力の余裕は必要という大きな前提条件があってのことだが。

というか、世界が優しければそれも問題がないのだけれど、常々思う。人に優しくはいいが、その優しくされている人が実は悪気なしにその親切にしている人に害をなしている。これが大体のグレーゾーンの問題点なのだ。

発達障害関係者のyoutubeの中には、「発達障害は近寄るな危険な定型発達」なんてタイトルを見つけて速攻ブロックしたけど、もちろん、発達障害というだけで「いじめ」にあう現実もあると思うけど、どうゆう障害か説明した努力の上で「いじめ」があったらパンチである。

やさしさとは、ただそこにある「理解」でしかないものを「親切」「やさしさ」という他力本願で責任は押し付けないで欲しいものだ。

万人にいう、自分に優しくない人に私たちは優しくしなくていいという「選択肢」を持っている。ただそれだけで、それにわたしは「いじめ」を含めてないけど、理解をあきらえたところでどちらかは被害者になるから難しいよね。

普通の人がどうかはわからないけど、HSPとグレーゾーンで、生きづらさを感じたら、自己認識から始めないとしょうがない。とはいえ、いろいろ全部一気にわかるものでもないから、ぜひ、世に蔓延るライフハックから試して欲しい。それが自分にあっているかどうか、あっているなら何があってないか、あっていないならなにがあっていないか。

そんな自分日記くらいしか全然前には進まなかった。

そう思うと小学校くらいの日記文化の推奨もなんか先人の化学で解明されないなにかへの知恵がありそうだけど、こうゆう前提条件を開示してくれないと自己理解noteはこんな展開にならないし、よくて、朝顔観察日記とか、料理日記も自己理解よりだけど(貧乏だったからそんな予算もなかったわ)、戻ってやりたいのんは博士ちゃんシリーズのスパイス全集とか、面白いよな。五感で他国のことと料理のことと自分の好みの傾向まで知れるし。

ま、これも自身が興味をもった矢印の方向性に可能性があるだけなので、なんにせよ、個人の興味の矛先を潰す行為は本当に罪深いし、持てた興味を好きになり、そして、好きでい続ける努力をするのは自己責任というところまでは「人」という子供は甘やかして(言動・行動に否定をしないで)あげたいものだな。


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