じいちゃん 1
私には物心がついた頃には既に父親と呼べる人は居らず(母が生後半年の私を連れて家を出て協議離婚したため)10歳になる頃母が再婚して義理の父親ができた(と、言っても私が中三の時進路に必要で戸籍抄本を取って養子縁組されていないことを指摘するまで子どもになっていなかったのだけどね)その義父も私が第二子妊娠中に心筋梗塞で亡くなった。だから、父親孝行というものには無縁だった。
結婚して三人目の父(義父)ができた。
結婚して35年、義父母は
嫁の悪口を言うわけでもなく、子どもが小さい頃には孫の世話をしてくれたり、子どもたちを連れて出掛けてくれたり、たまに野菜や米や果物を持ってきてくれたり本当に助けて貰った。
子どもたちが生まれてから、義父は【じいちゃん】義母は【ばあちゃん】になった。
じいちゃんは大工だった。私の本当の父親(高校三年の時に亡くなったと聞いた)も大工だったらしい。(何かの縁か?)そして、じいちゃんの年の離れたお姉さん(原爆で亡くなったとか)も看護婦だったらしい。(何かの縁?)
じいちゃんは15年くらい前から息子(私の夫)の事を心配(寂しい)していたようで、ばあちゃんからよく電話がかかってきていた。
そこで、私の取った行動は、夫に「じいちゃんが心配してるらしいから、忙しくても電話したり、休みの時は親元に行くようにして!」と、じいちやんを安心させるのは兎に角息子に会うこと!と説明した。それからは度々会いに行くようになった。
数年前、じいちゃんは急性腎盂腎炎で入院。入院する時は夫ではなく、私が身元保証人に!(直ぐに連絡がついて直ぐに駆け付けられるから)じいちゃんやばあちゃんが何度かした入院の時はいつも私。
三年前、じいちゃんは悪性リンパ腫になった。そして、抗がん剤で一応回復した。
じいちゃんが去年の今頃皮膚がんになった。そのため少し遠くの病院に通うときは運転手となり、手術後の傷の手当てはほとんど毎日家に通って行った(専属臨時訪問看護師)。
ばあちゃんが心筋梗塞で入院(二週間)した時の食事の世話とか何度も足を運んだ。もちろん入院中のばあちゃんの洗濯物とかも...
じいちゃんが元気な内に田んぼの世話も出来るように習っておくようにと夫や息子には伝えておいた。お陰で、じいちゃんと夫や息子はよく喋るようになっていた。
今年の5月頃から息切れを主症状とした体調不良を訴えるようになり、心疾患の内服治療が始まった。
夏には稲刈りにも参加し、体調が良くなったのかと思うほどだったが、10月には足が腫れ始め、その時は利尿剤で快復したが、11月に入ってからは増量した利尿剤の効果が観られず、11月も下旬に入った頃には、ほとんど寝たきり(起きたり寝たり)となった。親族みんな、【(死ぬまで)長くない】と感じていた。遠くに暮らす孫(私の子ども)達にも電話を掛けるように伝えた。そして、孫達も電話を掛けてくれた。その頃には食欲が無くなりほとんど食べられなくなっていた。だから、市販のメイバランスを沢山買って持っていっていた。じいちゃんは、美味しそうにそれを飲んで「また持ってきてくれーの」と笑顔で言っていた。
じいちゃんは、時々惚けたことをしたり言ったりするようになっていた。時には腰掛けていて【釣り】をする仕草を!そして、「逃げた~」と残念そうに言ったりしていたのだとか。
それから一週間後、じいちゃんは旅立った。
旅立つ前日にはばあちゃんが作ったカレーライスを食べ、お風呂にもしっかりと浸かって温まったという。亡くなる数時間前には自宅でばあちゃんに付き添われてトイレに行き、トイレからなかなか帰らないじいちゃんを心配してばあちゃんがトイレに迎えに行ってベッド迄連れ戻たという。
あまりに辛そうなので救急車で病院に行くことを提案したら、「救急車で行く」と、頑なに「病院には行かん」と言っていたじいちゃんが言ったとのこと。
「救急車で病院に行こうと思う」と!ばあちゃんから電話。
そこで!
先ず、掛かり付けの総合病院に電話して、主治医と今から救急車で行くことを伝えて!
と伝えて電話を切る。
再び電話
「今から救急車で行くから」と!
それに合わせて私も自宅を出る。
救急車に乗るまでは意識が有ったという。
こんなご時世だから救急車から降りても、コロナとインフルの検査陰性が確定しないと詳しい検査もして貰えない。じいちゃんはストレッチャーに乗せられ酸素を1L吸入させられていたけど既に意識は朦朧と混濁しているよう。その時の担当の医師から「身体の中にとても酸素が足りていない状態です。」と説明をうける。CO2ナルコーシスという言葉が頭を過る。一通り検査が終わって入院。入院前に担当医から「人工呼吸器を着ければ長生きは出来るけれどどうしますか?ご本人が答えられる状態なら何と答えられるでしょうか」と問われ、ばあちゃんと私は迷わず「着けないでください」と。
度々、じいちゃんは、「早う楽になりたい」と言っていたし、苦痛しかない延命は害悪だと思うから。
実の息子や娘が看取ること無く、ばあちゃんと私と私の息子が見守る中、入院して5時間余りで息を引き取った。
退院。
死因 悪性リンパ腫の再発(CTの結果鼠径のリンパに再発し腹水経度貯留を認めた)心不全を死因にするには状態悪化が急激過ぎるとのこと。
確かに癌の終末期の状態だな~っと
ばあちゃんが入院した時と同じCCU。そして、対応してくれたのは同じ教え子ナース(心強い)
亡くなってから夫が言ってたけど
「じいさんがのー『あれ(私)にはよー世話になった』って言いよったど」
なんて有り難い言葉
そして、父を知らない私に親孝行らしきことをさせてくれて有り難うと思わずにはいられない。
有り難う!じいちゃん!!安らかに!と願う。
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